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2012/06/02

人類の軌跡その392:ナポレオンの生涯①

<ナポレオン・ボナパルトその①>

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Napoléon Bonaparte・1769年8月15日 - 1821年5月5日


◎ナポレオンの登場

 ナポレオン・ボナパルトは、1769年にコルシカ島の貧乏貴族の家に生まれました。
コルシカ島は、現在フランス領になっていますが、以前はイタリアのピサやジェノバの領土であった時代も在ります。
ナポレオンが生まれる直前に、ジェノバ領からフランス領に成りましたから、フランス領としての歴史は比較的新しく、コルシカの人々は、フランス領に成ってからも独立運動が繰り返されました。
ナポレオンの生きていた時代、フランス人としての自覚は無く、ナポレオン本人も、フランス人としての自覚はあまり無かったと思います。

 ナポレオン、コルシカ島がフランス領に成った関係で、法律上フランス人に成り、貧乏貴族が出世する近道は、軍人になる事でしたから、少年ナポレオンは首都パリに出て士官学校に入学します。

 軍隊は二種類の人間で構成されています。
武器を持って敵軍の正面に出て戦うのは「兵」、その「兵」を指揮し、作戦を立て、命令をするのが「将」です。
将校、士官、種々の階級が在りますが、「兵」は、命令されて動くだけなので、体力さえあれば良く誰でもなれますしかし、将校は、戦術、用兵等の知識や技能、経験を身につけなければならず、専門教育が必要で、将校を養成する教育機関が士官学校です。

 当時は、まだフランス革命勃発前で、アンシャン=レジーム時代のフランスです。
将校になれるのは貴族だけ、平民は兵士と決まっており、士官学校に入学できるのも貴族の子弟だけです。
ナポレオンはコルシカ出身ですが、貴族階級なので、士官学校に入学できました。

 学校でのナポレオンは、暗くて目立たず、無口で友人も居ません。
無口だったのは、ナポレオンが傲慢な性格で他のクラスメートを馬鹿にしていたからとも、訛りが酷くて、話すと周囲に笑われたからだとも、云われています。
成績も士官学校卒業時の席次が58人中42番です。

 当時の士官学校には、騎兵科、歩兵科、砲兵科の3つの科が在りました。
一番華やかで人気があるのが騎兵、次が歩兵、一番人気のないのが砲兵です。
当時、砲兵科は出来て間もない学科で、重たい大砲を戦場まで引っ張って弾を撃つだけなので、兵科としては好まれませんでした。
ナポレオンが学んだのは、この砲兵科で、後に大砲を上手に戦術に取り入れて、勝利を重ねる事になります。

 1784年、ナポレオンは士官学校を卒業し、フランス王国の将校としての軍務が始まりました。
このときの年齢が16歳、今の常識から考えると驚くべき若さで、貴族出身、士官学校出身というだけで、16歳でも部隊を指揮する資格を与えられるのです。
アンシャン=レジーム下での貴族の特権というのを考えさせられます。

続く・・・
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