2012/06/07

人類の軌跡その396:ナポレオンの生涯⑤

<ナポレオン・ボナパルトその⑤>

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ナポレオンと参謀

◎ナポレオンの大陸支配

 総裁政府を打倒したナポレオンは、新たに統領政府を組織します。
三人の統領を置いて、これが政務に当たるのですが、ナポレオンは第一統領という地位に就きます。他の二人の統領は、ナポレオンの補佐役ですから、事実上の独裁者です。

 フランスの支配者となったナポレオンは、如何なる政治を行ったのでしょう。

外交

 二回目のイタリア遠征で、勝利を収めます。
クーデターで権力を掌握しても、ナポレオンのリーダーシップは強力で、久々に頼れる政府が出現し、国民は当然ながら彼を支持します。

 更に、1802年、アミアン条約を結び、イギリスとの和平条約を締結します。
この条約で第二回対仏大同盟は解体し、長年の宿敵であるイギリスとの和平を実現して、外交にも並々ならぬ能力の在る所を示し、フランスに久々に平和が訪れます。

内政

 1800年、政府の中央銀行であるフランス銀行を設立し、通貨と経済の安定を図り、フランス産業の発展の基礎を作りました。

 1801年には、宗教協約でフランス革命以来、敵対していたローマ教皇と和解し、フランス人の大半はローマ教会の信者の為、これは多くの国民の信仰心を満足させた。

 このような成果と、国民の人気を背景に、1802年、ナポレオンは終身統領という地位に就任します。

 ナポレオンは独裁者ではありますが、フランス革命の時にはジャコバン派を支持した事もある人物です。
フランス革命の進歩的な理念や理想を理解しており、その成果を守る事が、フランスの発展には欠かせないとも考え、独裁者である事と、「自由・平等」を守るという事は、矛盾するのですが、ナポレオンの中では、この二つが両立するのです。
その為ナポレオンの、独裁的な政治手法を嫌悪する人物もいれば、「自由・平等」の実現者として期待する人物もいます。

 革命の成果を守る立場から、ナポレオンは1789年の革命以来のフランス政府が出した法令を集大成し、ナポレオン法典として1804年に制定されます。
後にナポレオンは云っています。
「余の名誉は幾度かの戦勝にあるのではなく、余の法典にある」

 難しい言い方をすると、ナポレオンは、この法典でブルジョアジーの政治・経済の支配権を確定させたのです。
更に「余はフランス産業を創造した」。
フランス銀行の設立とナポレオン法典によって、フランス産業発展の基礎を固めたのは間違いありません。

続く・・・

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