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2012/06/13

人類の軌跡その401:ナポレオンの生涯⑩

<ナポレオン・ボナパルトその⑩>

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イエナの戦い

◎没落のはじまりその②

 最初にフランスの支配に抵抗をはじめたのはスペインで、1808年からフランスに対する反乱が始まりました。
ナポレオンの兄がスペイン国王の為、反乱をおこしたのはスペイン軍では無く、一般の市民が抵抗闘争をはじめたのです。
ナポレオンは反乱鎮圧の為、最終的には30万の軍隊を投入しますが、成果は上がりません。
正規軍との決戦では、フランス軍は無敵ですが、不正規戦は手法が全く異なります。
フランス軍の隙をついて襲撃が行われ、更には反乱側とそうでない市民との区別もつきません。
フランス軍は報復の為に、不審人物を、次々に処刑して行きます。
こうなると、フランス軍は革命軍では無く、ただの侵略軍で、ナポレオンは最後迄、スペインの反乱を鎮圧する事ができませんでした。

 ナポレオンによって領土が半分に縮小したプロイセンは、国を挙げて改革に取り組みます。
これをプロイセン改革と云います。
ナポレオン戦争に於けるプロイセン軍の行動、徴兵制度が鋭く検証されました。
プロイセン兵は、強制的に集められた農民で、しかも彼らの身分は農奴です。
封建領主に経済的にも身分的にも抑圧されている農奴が、封建領主の為に戦う訳が無く、それどころか、ナポレオンに負ける事を願っているかも知れません。

 プロイセン富国強兵の為には、封建制度を撤廃する必要が在りますが、革命は困ります。
そこで、支配者側が、自分達の権力を手放す事無く行われたのが、プロイセン改革でした。

 シュタイン、ハルデンベルグ両大臣が、改革の中心に成りました。
彼等は、農奴制を撤廃し、農民を自由な身分として解放します。
フランス革命の様に、農民が土地を手に入れる様な、徹底的な改革ではありません。
一説によれば、ようやくフランス革命前のフランス農民の状態に近づいた程度とも云われています。
 
 又、軍制改革を推進し、軍隊内でのリンチやむち打ち刑を廃止し、兵士の待遇を改善します。
更に、身分に関係なく、能力のある者は将校に抜擢します。
プロイセン将軍シャルンホルストは、「兵士は国王の召使いではなく、国家の市民でなければならない」と云っています。
素晴らしいセリフですが、彼が民主的な人物だから、この様な事を言っているのでは無く、そうしなければ、フランス軍のように強い軍隊が作れないからです。

 こうして、プロイセンは短期間のうちに、国民皆兵の原則を確立し、フランス軍に近い国民軍を作り上げることに成功しました。
プロイセンの兵士も、「国の為に頑張ろう」、という意思を持ち始めます。
実際に、後のワーテルローの戦いで、ナポレオンが敗北した時に、決定的な役割を果たしたのがプロイセン軍でした。

 プロイセンでは、哲学者のフィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」という講演を行い、民族意識が高まっていきました。

 フランスから最も遠いロシアは、1810年、大陸封鎖令を破って、イギリスとの貿易を再開します。ナポレオンは、大陸封鎖令に従うように警告を繰り返しますが、ロシアは無視します。
ロシアに影響されて、他の諸国まで大陸封鎖令を破り出せば、ナポレオンのヨーロッパ支配は崩れ去る恐れが在りました。
1812年5月、ナポレオンは、側近たちの反対を押し切り、ロシア遠征を開始しました。
兵力は60万、そして、このロシア遠征が、ナポレオンの没落の始まりとなったのです。

続く・・・

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