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2012/06/15

人類の軌跡その403:ナポレオンの生涯⑫

<ナポレオン・ボナパルトその⑫>

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「ベレジナ渡河作戦」

◎運命のロシア遠征その②

 モスクワに初雪が降ったのです。
ナポレオンの予想以上にロシアの冬は早く、初夏に遠征を開始したフランス軍は、冬の装備を持っていません。
食料不足に喘でいるこの時に、更に寒さに襲われては、モスクワ占領は継続できません。
即座に、ナポレオンは退却を命じ、何の成果もないまま、ナポレオン軍はモスクワ迄の行軍路を、引き返しますが、退却時の兵力は10万、モスクワ占領の1ヶ月だけで1万人減っています。

 ナポレオン軍が退却を開始すると、既にトルコ戦線から離脱し、ベレジナ河西岸に布陣した5万のロシア軍精鋭部隊が彼等を待ち受けていました。
寒さとロシア軍の猛攻により、ナポレオン軍は激減の一途を辿り、11月3日には5万、11月8日スモレンスクでは3万7千。
スモレンスクの気温は氷点下26度に低下、フランス軍の軍服のボタンはスズ製でしたが、スズという金属は、急激な温度低下で粉々に砕けてしまいます(スズペスト)。
フランス軍兵士は、寒さの中、服のボタンも留められない、想像を絶する状況に陥ります。
死んだ仲間の服を剥ぎ取って身にまとい、死んだ軍馬の肉を食らい、味がないので火薬を振りかけて味付けをしたといいます(!)。
暖をとる為に軍旗を焼きました。
軍旗は、敵に奪われた場合、指揮官が自決する程、部隊の名誉を象徴する重要なものです。
それを、焼く意味は、もう軍隊としての規律も崩壊しかけていると事を意味しました。

 11月26日にはベレジナ川に到達。
ここに来て急に寒さが緩み、それまで凍結していたベレジナ川が歩いて渡れなくなってしまいます。工兵隊が死を覚悟で、氷の浮かぶ川に入り、仮設の橋を架け、なんとか川を渡りましたが、渡る事ができたのは3万でした。
後方から迫るロシア軍を翻弄し、橋を架ける為の時間稼ぎをしたのですが、この作戦は「ベレジナ渡河作戦」と呼ばれる(勇ましい)名前で知られていますが、必死に逃げているだけです。
ベレジナ川を渡る兵士の中には、女性も混じっており、当時、軍隊が遠征する時には、兵士に日用雑貨品を売る商人や、慰安関係を担当する婦人も同行していました。
当時の戦争の一面が垣間見えます。

 12月10日、ニーメン川を越えて、ロシアの勢力圏から帰還できた兵員は僅か5千。
60万で開始されたロシア遠征軍が5千に成ったこの事実は、軍隊が消滅した事を意味し、ナポレオンの権力を支えていた軍隊が消えてしまったのです。

 ロシア遠征は、大失敗に終わりました。

続く・・・

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