FC2ブログ
2012/06/16

人類の軌跡その404:ナポレオンの生涯⑬

<ナポレオン・ボナパルトその⑬>

765px-Napoleon_i_Poniatowski_Lipsk_convert_20120616225022.jpg
「ライプツィヒでのナポレオンとポニャトフスキ」

◎ナポレオンの最後

 ナポレオンの支配に不満を持つヨーロッパ諸国にとって、これ以上の機会はありません。
ヨーロッパ諸国は、反ナポレオン連合軍(第6次対仏大同盟)を結成し、ナポレオンに最期の戦いを挑みます。
これがライプツィヒの戦い、別名諸国民戦争と呼ばれています。

 連合軍の主力は、ロシア、オーストリア、プロイセン、その兵力は30万。
対するフランスは18万、ロシア遠征で、軍団が消滅したにも係らず、此れだけの兵力を整備したと思いますが、急遽召集された兵士達で訓練も充分では在りません。
 
事実、フランス国内では厭戦気分が蔓延し、兵士集めに苦労します。
政府が召集した数は42万、しかし、実際に入営してきた若者は17万5千程度で、多くの若者が、徴兵命令を無視して、逃亡したのです。

 ロシア遠征以前の1810年には、既に徴兵忌避者3万2千、脱走兵3万、との記録が現存しますから、ナポレオンの栄光とは裏腹に、長びく戦争に嫌悪感を抱くフランス国民が数多く存在したのでした。
徴兵から逃れる為に、自分で前歯を折り、親指を切断する者が多く出たと云います。
当時の銃は、火薬袋を前歯で噛み切って銃に火薬を装填しなければ成らず、前歯が無ければ徴兵されず、前歯だけでは心配という者は、親指まで落としてしまいました。
これでは、銃が握れませんから、当然徴兵免除です。
又、妻帯者は徴兵免除される為、急いで結婚する若者も多く、村の若い娘は花婿候補が山の様に集まり、更には若い娘が居ないので、60歳の女性と結婚した18歳の若者が居たとの記録も現存します。

 その様な状態で、集められたフランス軍に、以前の様な優位性等存在せず、ライプツィヒの戦いで、フランス軍は敗北、ナポレオンはパリに撤退、これを追って連合軍もパリに進軍、ナポレオンは最後の抵抗を考えましたが、側近の将軍達に退位を迫られて、抵抗を諦め、1814年3月、パリは連合軍に占領されました。

 降伏したナポレオンは、地中海に浮かぶ小島、エルバ島に流刑されます。
但し、皇帝の地位に在った人物の為、連合国は、ナポレオンの名誉を重んじて、エルバ島の「皇帝」の称号と、島の統治を許されます。
又200フランの年金と1200名の近衛兵も与えられました。

 フランスには、革命で処刑されたルイ16世の弟が、亡命先から帰国しルイ18世として即位し、ブルボン王朝を復活させました。
処が、このルイ18世、全く人望が在りません。
ルイ18世の外務大臣として仕えたタレーランは以下の様に述べています。

「ルイ18世はおよそこの世で知る限り、極めつきの嘘つきである。1814年以来、私が王と初対面の折りに感じた失望は、とても口では言い表せない。…私がルイ18世に見たものは、いつもエゴイズム、鈍感、享楽家、恩知らず、といったところだ。」

続く・・・
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント