2012/06/27

人類の軌跡その413:ナポレオン以後のヨーロッパ⑥

<ウィーン体制その⑥>

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ジョン・コンスタブル・デダムの水門と水車場

◎イギリスの諸改革

 名誉革命後のイギリスは、急激な政治の変化を避け、法律の改正によって徐々に変化していくところに特徴があります。
ヨーロッパ諸国とは、別格の様なイギリスですが、やはり七月革命の影響を受けています。

 宗教の自由化ですが、七月革命以前から行われており、1828年には審査法が廃止されています。この法律は、国教会の信者でなければ官職に就けないという法律ですが、本来はチャールズ2世が、カトリック信者を官僚に採用し、絶対主義を行おうとした背景に対抗して、1673年に制定された法律です。
それから、150年が経過し、時代に適合しなくなった結果で、審査法の廃止により、カルヴァン派等は官職に就く事が可能と成りましたが、カトリックだけは、まだ差別が続いていました。
そこで、翌1829年には、カトリック教徒解放法が制定され、カトリック信者も他の宗派と同じ様に、官職に就く事が可能になり、宗教上の差別が撤廃されたのでした。

 カトリック教徒差別の問題は、実はアイルランド問題です。
ピューリタン革命時に、イギリスはアイルランドを植民地にしました。
それ以来、アイルランド人はイギリスにより、搾取され差別され続けてきました。
このアイルランド人の宗教がカトリックで、カトリックを差別する法律は、事実上はアイルランド人に対する差別なのでした。

 政治的には無権利状態に置かれたアイルランド人の中から、オコンネルが登場します。
若い頃にフランスに渡り勉学した後、ロンドンで弁護士資格を獲得し、その後はアイルランド人の弁護に大活躍して、有名になります。
やがて、オコンネルは、ひとつひとつの裁判でアイルランド人を守るよりも、政治家としてアイルランド人の地位向上を目指したいと考えて、1828年下院選挙に出馬、当選します。
ところが、オコンネルはカトリック教徒なので、当選しても官職である議員に成る事が出来ないのです。

 此れまで、オコンネルは、合法的に運動を展開していました。
しかし、「カトリックは官職に就けない」では、オコンネルを支持するアイルランド人の反乱を恐れて、イギリス政府が宗教の自由化に踏み切った背景が在ります。

 七月革命の影響を受けて、イギリスで行われたのが第一次選挙法改正です。
イギリスでは、古くから選挙が行われていましたが、選挙区の区割りが産業革命以前の古い時代に作られたもので、産業革命後の人口の変化が全然反映されていませんでした。
例えば、マンチェスターやバーミンガムの様な新興都市は、10万人以上の人口でも、全く議員が選出されず、逆に、過疎化した農村の選挙区から、議員が選ばれていました。
極端な話、全く人が居なくなってしまった土地から、議員が選出されました。
この様な場合は、その土地の地主が議員に成り、その選挙区を腐敗選挙区と云います。

 古い選挙区割りで得をするのは、貴族やジェントリなどの地主でした。
逆に、都市で経済力をつけてきた産業資本家、商工業者、市民階級は、議員を選べず、又議員に成れませんでした。

続く・・・
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