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2012/06/29

人類の軌跡その415:産業革命と社会運動①

<産業革命その①>

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◎技術革新

 産業革命とよばれる産業構造の変化が18世紀後半のイギリスで始まりました。
産業革命は、やがて世界中にひろがり、社会経済の仕組みをそれまでとは全く違ったものに変えていきます。
言い換えれば、ここから資本主義社会、工業化社会が誕生するのです。
では、産業革命はどの様に始まったのでしょう。

 17世紀に、イギリス東インド会社がインド貿易を開始し、インド綿布はイギリスで大流行しました。
手触りは柔らかく、軽くて暖かい、白い布地は染めやすく、プリントも簡単にできるのが綿布の特徴。一方、イギリスの毛織物業者は、綿布の流行で、売り上げがひどく落ちこみ、危機感を持った毛織物業者の働きかけで、イギリス政府は1700年、インド綿の輸入を禁止します。

 しかし、禁止されても綿布の需要は存在します。
輸入が駄目なら、西インド諸島等から原綿を輸入して、イギリス国内で綿布の生産が始まりました。
綿布は人気が在り、作る先から次々に売れ、消費に生産が追いつきません。
そこで、大量に生産する為の技術の改良が始まり、これが、産業革命の発端でした。

 産業革命の発明史の中で、最初に登場する人物がジョン・ケイです。
彼は1733年「飛び杼(とびひ)」を発明しました。
布は縦糸と横糸が交差して織られますが、「杼」は横糸を載せる道具で、これを縦糸の間に通して横糸を張ります。
織り職人は、機織り機の向こう側に手を伸ばして、右手と左手で「杼」を受け渡しして横糸を通す訳ですが、これは時間が掛かり、布の横幅は両手の届く幅より広く作れません。
 
 これを改良し、「杼」を手で持たず、ひもを引っ張ることで、左右に飛ばす様にした機械が「飛び杼」です。
横糸を通す作業が簡単になり、布を織るのに掛かる時間が短縮されました。
画期的な発明ですが、ジョン・ケイは、成功できませんでした。
この様な機械を作られたら、仕事が無くなると考える職人達に恨まれて、生まれ故郷の町に住めなくなります。
後には、使用料を払わずに機械を使う輩が現れて、使用料の支払いを求める裁判の費用が払えずに最後は破産してしまいました。

 「飛び杼」によって、布の生産能率が向上すると、今度は糸の生産が追いつかなく成りました。
製糸は、昔ながらの方法で行われていたからです。

 糸は、繊維に「より」をかけて作られています。
昔は、綿のかたまりから細く繊維を引っぱり出し、これに紡錘という棒状の道具をつけてぶら下げ、ぶら下げた紡錘を手でひねって回転させると、糸がよじれて「より」が掛かります。
ある程度「より」が掛かると、糸を紡錘に巻き取って、また新たに繊維を繰り出して同じように「より」をかけ、この繰り返しで、糸を作っていきます。
これが、一番単純な糸の作り方で、何の機械も必要とせず、紡錘一本あれば良いわけです。

 もう少し進歩した方法が、糸車を使い、糸車を回すと、ベルトでつながっている紡錘が高速で回転し、片手で綿を繰り出し、もう片方の手で糸車を回します。
これで、よりを掛けたり、糸を巻き取る方法が、産業革命前でした。
ぶら下げた紡錘を回転させる「より」は、能率が良いのですが、一人に一本しか糸を紡げない為、「飛び杼」で織布の能率が上がると、糸不足になったのは理解できます。

続く・・・


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