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2012/07/04

人類の軌跡その419:産業革命と社会運動⑤

<二月革命その①>

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ニュー・ラナーク保全トラスト(New Lanark Conservation Trust)

◎労働運動の形成

 産業革命の進展と共に、労働者階級が増大し自覚も高まると、労働者自身による権利獲得の運動が発生してきます。
そのひとつが労働組合運動で在り、イギリスでは、19世紀の前半迄、労働者の団結が禁止されていましたが、やがて労働組合は社会的にも認知され、労働条件の改善や政治改革を目指す様に成ります。
イギリスに於ける、労働者階級の最初の政治運動がチャーチスト運動で、1832年の第1回選挙法改正で、労働者階級の参政権が認められず、そこで彼等は、1838年、「人民憲章」を作成し、これを採用するように政府に迫りました。
この運動をチャーチスト運動と呼び「人民憲章」は「People’s Charter(ピープルズ・チャーター)」なので、チャーチスト運動です。
 「人民憲章」には、男子普通選挙や、議員の財産資格廃止等が謳われていました。
スローガンは「土地を総ての人民に、総ての人に家を、総ての人に選挙権を」。
「すべての人に家を」は、当時の労働者の状態を想像させます。
この運動は、集会を開き、署名を集めて議会に請願を繰り返す、穏健な運動で在り、1848年当時迄、運動は継続しますが、議会はこの要求を受け入れず、チャーチスト運動は成果無く終わります。

◎社会主義思想

 一方で、労働者階級の貧困を解決しようとする思想も生まれ、これを社会主義思想と云います。

1、ロバート・オーウェン(イギリス1771年~1858年)
 
 彼は、工場経営者で、スコットランドのニューラナークで紡績工場を経営していました。
経営者は利益を上げる為に、可能な限り賃金を低く抑えるのが普通です。
ところがオーウェンは、人道主義的な立場から、労働者の貧困生活を何とか救いたいと考え、経営者としては前例の無い事を初めました。

 まずは、自分の工場の労働者の賃金を引き上げ、更に、労働者の劣悪な住宅環境を改善する為、社宅を建設して労働者を住まわせます。
工場内に給品所を設置し、日用雑貨・食料品等を安く労働者に販売します。
親が工場で働いている間、小さい子供達の為に幼稚園までつくりました。
この施設が、世界最初の幼稚園と云われています。

 しかし、この様な企業活動は、当然ながら経費が掛かり、経営を圧迫します。
経費を製品の販売価格に上乗せすれば、他所の工場との価格競争に負けるはずです。
ところが、これ等を実行に移すと、オーウェンの工場の売り上げが上昇しました。
一言で云えば、労働生産性が向上したのです。
つまり、労働者がオーウェンの待遇改善に感激して、本気で働きました。
当時の労働者は、普通は一所懸命働く事は少なく、監督に見張られていない限りは、手抜きを行います。
解雇されない程度に、可能な限りサボタージュを行う事が、普通だったのです。
経営的にも成功しながら、しかも労働問題も解決出来、彼の工場は評判となり、見学者も続々訪れる様に成りました。

続く・・・
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