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2012/07/05

人類の軌跡その420:産業革命と社会運動⑥

<二月革命その②>

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カール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx)

◎社会主義思想②

 しかしながら、この成功は長くは続きませんでした。
オーウェンの企業運営に感激して、良く働いていた労働者も、暫くする内に、その待遇の良さに慣れて、当たり前の様に思ってきます。
素晴らしい事も、日常に成ってしまえば感激は無くなり、やがて、オーウェンの工場の労働生産性も他の工場と変らなくなり、福利厚生に出費している分だけ負債が超過し、工場は潰れてしまいました。

 オーウェンは、失敗の原因を、他の業者との競争に有る為と考え、競争の無い所で運営すればとの発想から、アメリカ・インディアナ州に、私財を投じて自給自足を目指した、農場や工場のある共同体ニューハーモニーを建設しますが、これも失敗。
最終的には総て試みは失敗に終わるのですが、彼のユニークなその試みは、後の工場法制定の基礎と成りました。

 オーウェンの試みは、資本家個人の努力で問題を解決しようというものでしたが、社会を変えることで労働者の状態を改善しようとする思想も生まれます。

2、フーリエ(フランス1772年~1837年)

 フーリエは、少年時代にマルセイユの米穀問屋に奉公していた事が在り、その時に、主人の命令で、腐った米を海に捨てさせられました。
米が腐った理由は、値上がりを待って倉庫に寝かせた結果でした。
食べられるものを、儲けの為に売らず、挙げ句の果ては、腐らせて廃棄する。
この様な利潤追求に、必然的につきまとう不合理に疑問を持った事が、彼を社会問題に目に対して関心を持たせた根源でした。

 フーリエは、雇う者も雇われる者も無く、競争も無い社会を作る為には、自給自足の共同体しかないと考えました。
共同体を目指すところは、オーウェンと似ています。

3、ルイ・ブラン(フランス1811年~1882年)

 同じ社会主義でありながら、フーリエ等とは、違う発想をします。
不合理な競争を無くし、労働者を保護する為には、国家が生産を統制すればよいと考えました。
国が工場を経営すれば、競争に巻き込まれる事も無く、労働者を搾取する必要が無くなると考えたのでした。
後に、ルイ・ブランは、フランスの大臣と成りこの政策を実行します。

4、プルードン(フランス1809年~1865年)

 彼は無政府主義です。
政府は権力者である金持ちの味方で在り、その様な政府は存在せずとも、協同組合が生産を管理すれば社会は成り立って行けると考えました。
彼の有名な言葉で「財産とは何か?窃盗である。」があります。
金持ちが金を持っているのは、労働者階級から搾取した結果であり、搾取の結果蓄えた私有財産を否定します。

 この様な過激な発想が生まれるのは何故なのでしょう?
私達は、当たり前の事として受け入れていますが、当時の社会主義者は、貧富の差が生じる事自体がそもそも間違っていると考え、働いている労働者が貧しく、働かない資本家が豊かなのはおかしいとのです。

 理想社会の追究は、オーウェンの様な資本家個人の良心の問題から出発して、経済問題、そして国家の在り方の問題へと、より広く深く成って行きます。

◎社会主義思想の集大成、カール・マルクス(1818年~1883年):フリードリッヒ・エンゲルス(1820年~1895年)

 共にドイツ出身ですが、活動したのは主にロンドン。
マルクスが主で、エンゲルスが従ですが、主著は二人の共同作業です。
『共産党宣言』『資本論』は有名な書物で、『共産党宣言』の最後の言葉、「万国の労働者、団結せよ!」は、更に有名です。
現在でも、北京天安門広場前に位置する、紫禁城の城壁には、このスローガンが毛沢東の肖像とともに掲げられています。

 彼等は、資本主義経済の分析から始まり、国家論、歴史、哲学等を含む膨大な思想体系を作り上げました。
一般にこの思想をマルクス主義と云い、マルクス主義が、後世の人文社会科学全般に与えた影響は、計り知れないものが在ります。

 何故、大きな影響力を持ったのか?
1917年、ロシアのレーニンがマルクス主義思想に基づいて革命を成功させ、ソビエト社会主義共和国連邦を建設したからです。
その後、東欧・アジア等世界各地で社会主義国家が誕生しましたが、これ等の国も、マルクス主義を国家建設の理論に使用しましたから、在る意味では、歴史を作った思想です。

 ソ連を始めとして、殆どの社会主義国が崩壊してしまった現在、マルクス主義は過去のものとされつつあるようです。

続く・・・
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