2012/07/09

人類の軌跡その422:産業革命と社会運動⑧

<二月革命その④>

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ドイツ3月革命

◎諸国民の春

 フランスで成功した二月革命は、ヨーロッパ各地の自由主義運動、民族主義運動を刺激し、革命運動の連鎖がはじまり、これを「諸国民の春」と呼びます。

 1848年3月、オーストリアのウィーンで民衆が蜂起、「ウィーン三月革命」です。
ウィーン体制の大立て者メッテルニヒがロンドンに亡命して、ウィーン体制は崩壊、オーストリアの農奴制は廃止。
 
 同じく、3月、プロイセンで「ベルリン三月革命」、プロイセン国王は、国民に憲法制定を約束し、自由主義内閣が成立しました。
 
 オーストリアの支配下にあったハンガリーでは、コシュートら民族主義者の指導で独立運動が展開
し、同じく、オーストリア支配下のベーメンでは、チェク人が自治権獲得に成功、ポーランドでも独立運動が活発化します。

 イギリスでは、チャーチスト運動が盛り上がり、500万人分の署名を議会に提出しました。
中世以来分裂状態が続いていたイタリアでは、サルディニア王国がイタリア統一運動に乗り出し、此れとは別に、青年イタリアのマッツィーニは、統一を目指しローマ共和国を樹立します。
 
 同じく領邦に分裂していたドイツでも統一への気運が盛り上がり、各領邦の代表がフランクフルトに集まり国民議会(フランクフルト国民議会)を開き、ここでは、ドイツの統一と憲法制定について討議されました。

 こうして列挙すると1848年には、ヨーロッパ各地で、自由主義、民族主義の運動が激動している事がわかります。

 ただ、フランスで労働者による六月蜂起が鎮圧されたのと歩調を合わせるように、各国の運動も徐々に後退していきました。
ハンガリーとポーランドの独立運動はロシアの出兵で失敗、サルディニア王国のイタリア統一運動は、オーストリアの介入で失敗、ローマ共和国の試みもフランスの介入で失敗、チャーチスト運動も、政府の圧力によって失敗、フランクフルト国民議会も成果なく解散します。
失敗する運動もありますが、1848年の「諸国民の春」によって、ウィーン体制は過去のものと成りました。

続く・・・

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