2012/07/11

人類の軌跡その424:統一国家の成立①

<イタリアの統一その①>

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ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世

◎サルディニア王国

 イタリアは、統一国家が形成されず、中世以来分裂状態が続いていましたが、19世紀になると、イタリア人としての民族意識が高まり、統一運動が活発になって来ました。

 ウィーン体制時代には、カルボナリ党、マッツィーニの青年イタリア党が、独立・統一の為に活動をしていました。
ここで独立の意味は、イタリアに散在する小国は、神聖ローマ帝国時代以来ドイツの影響下に置かれており、19世紀においても、オーストリア・ハプスブルク家に従属している国が多かったのです。
ヴェネツィアやミラノにはオーストリア軍が駐屯し、反オーストリア的な政治運動に圧力を掛け、自由主義的運動や統一運動が活発化すると、必ずオーストリア軍が出動して弾圧する事態が続いていたのです。
又、フランスもイタリアに大きな政治勢力が出現する事を嫌い、イタリアに干渉する事が多く在りました。

 1848年の二月革命時に、イタリア各地で独立・統一運動が盛り上がりを見せますが、この時もオーストリアとフランスの干渉で、総ての運動が失敗しています。
ローマ共和国が成立した時は、フランスが軍隊を派遣して鎮圧し、以後ローマにはフランス軍が駐屯しました。

 1849年以後、イタリア統一の中心となるのが、サルディニア王国で、この国はフランスと国境を接する半島北西部とサルディニア島を領土に持ち、イタリアの中では比較的大きな国でした。
ナポレオン1世時代には、フランスに支配されて封建的な古い制度は消滅しており、イタリアの中では、最も近代的な国でした。

 1848年にはオーストリア軍と戦い、領土拡大を図りましたが敗北。
しかし、此の頃からサルディニア王国が中心と成りイタリアを統一する事が、一番現実的であると多くのイタリア人は考えていたのでした。
1849年、サルディニア王国に新しい王が即位します。
ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世、彼は、自由主義的改革による近代化とイタリア統一を目指します。
その為にカヴールが、首相に任命されました。
彼はイギリスの議会を見学した事もある、自由主義的立場の政治家です。
カヴールは、イタリアからオーストリア軍を排除しなければ統一は絶対に不可能だと考えました。
しかし、サルディニア王国の軍事力ではオーストリア軍と戦って勝てる見込みは在りません。

続く・・・
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