2012/07/12

人類の軌跡その425:統一国家の成立②

<イタリアの統一その②>

484px-Francesco_Hayez_041_convert_20120712183800.jpg
Camillo Benso, Conte di Cavour:1810年8月10日 - 1861年6月6日

◎サルディニア王国②

 では、国力で勝るオーストリアに、対抗する手段はあるのか?

 フランスと同盟を結び、オーストリア勢力に対抗する事、そこでカヴールは、数多の外交作戦を駆使してフランスに接近しました。
フランスは1849年以降、ルイ・ナポレオンが支配者です。
最初大統領に当選しますが、やがて皇帝に即位してナポレオン3世と名のりました。
カヴールは、ナポレオン3世の好意を得る為に、1853年のクリミア戦争に1万5千のサルディニア軍を派遣し、ナポレオン3世から見れば、サルディニアの様な小国が援軍を差し向けた事に感謝します。
当然イギリスもサルディニア王国に好意を持ち、クリミア戦争への参戦は、サルディニア王国にとっては大きな負担でしたが、イギリス・フランスの二大国に接近できたことは、大きな成果でした。
カヴールは、クリミア半島での戦争がイタリア統一の第一歩だと激励して、兵士を送り出したそうです。

 クリミア戦争で恩を売ったカヴールは、ついにナポレオン3世と同盟を結ぶ事に成功しました。
オーストリアと戦争した場合にフランスが援軍を派遣する事と成り、交換条件として、サルディニアはフランス国境に近いサヴォイア、ニースという二つの地方をフランスに割譲するという条件付きでした。

 1859年、サルディニア王国はイタリア統一戦争を開始しました。
サルディニア軍は東隣のロンバルディアに攻め込みますが、ここにはオーストリア軍が駐屯しており、更に援軍も増援される為、この戦争は、事実上オーストリアとの戦争です。
オーストリア軍22万、対するサルディニア軍は7万、フランス軍は12万8000、フランスの援助が無ければ勝負に成りません。

 サルディニア・フランス連合軍はオーストリア軍を破り、ロンバルディアはサルディニアに併合されます。
これに呼応して、パルマ、モデナ、トスカナ各国で反オーストリアの反乱が起こり、これ等の国々では、住民投票によって、サルディニア王国への編入が決まります。
順調に統一が進行するイタリアに、ナポレオン3世は、脅威を感じました。
簡単にサルディニア王国が、領土を拡大するとは考えておらず、フランスの南にいきなり巨大な統一国家が存在する事は得策ではないと、考えたナポレオン3世は、オーストリアと単独で講和条約を結びイタリアから撤退しました。
フランスの援助がなければ、戦争遂行は不可能で、ヴェネツィアを除く北部イタリアの併合に留まり、サルディニアの統一戦争は頓挫しました。

続く・・・
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント