人類の軌跡その426:統一国家の成立③
<イタリアの統一その③>

アスプロモンテのガリバルディ
◎ジョゼッペ・ガリバルディの登場
ガリバルディは、青年イタリアのメンバーとして以前から統一運動で活躍していた人物です。
1860年5月6日の事、彼は、全く個人的に義勇兵約1000人を集めて、2隻の船でサルディニアの港からシチリア島に向けて出発しました。
イタリア半島の南部からローマに向かって進軍し、イタリア統一を完成させるのが目的です。
彼の部隊は、そのメンバーの数から千人隊、若しくはガリバルディの赤いシャツから赤シャツ隊と呼ばれています。
シチリア島はイタリア半島の南半分にあるナポリ王国の領土で、この時ナポリの支配に抵抗する農民反乱が起きていました。
シチリアに上陸したガリバルディと千人隊は、農民達の支援を受けてナポリ王国軍を敗退させ、島を占領し、その勢いで、対岸であるイタリア半島先端に上陸、半島を北上し、ナポリ王国を滅ぼしてしまいました。
ガリバルディは、更に北上しローマ教皇領に攻め込もうとします。
イタリア半島の中央部は、フランク王国のピピン以来ローマ教皇領と成っており、特殊な場所です。ローマ教皇領の為、単純に武力で征服する訳には行かず、ローマ教会の信者は、イタリア人だけでなく全ヨーロッパに存在しており、ローマに対しては特別な感情を持っていますから、ここを武力征服してローマ教皇を敵に回せば、国際問題に発展しかねません。
事実、1860年のこの時点では、フランス軍がローマに駐留していますから、サルディニア王国も、ローマ教皇領には手が出せませんでした。
教皇領の存在がイタリア統一の大きな障害になっていたのです。
ガリバルディがローマに進軍して、フランス軍と戦闘に成った場合を苦慮した人物カヴールです。
フランスはイタリア統一戦争から後退していますが、ローマで武力衝突すれば、逆に統一を潰す方向で軍事介入してくる可能性があります。
カヴールは、サルディニア国王ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世自身に出陣を願い、ガリバルディを止める為、サルディニア軍を率いてイタリア半島を南下します。
10月26日、ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世は、ナポリの北にあるテアーノでガリバルディと会見します。
ガリバルディは、この直前におこなわれた住民投票で、ナポリ王国のサルディニア王国編入が決まったことを王に報告し、自分が占領した土地を王に献上しました。
ここでイタリア半島の統一がほぼ完成した訳ですから、二人の会見は劇的なものとして、幾つかの絵に描かれています。
実際には、この場でガリバルディはローマ進撃の許可を得ようとするのですが、王はこれを禁止し、彼の義勇軍をサルディニア正規軍に編入されてしまい、ガリバルディにとっては失意の会見だったと思われます。
此の後、ガリバルディは政治の表舞台を去り、カプレラ島で農業を営みながら余生を送りました。
ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世にとって、青年イタリア出身で民衆にも人望のあるガリバルディは、危険人物に思えたようです。
更に青年イタリアは、基本的には共和政を目指していましたから当然です。
ガリバルディの活躍で、ローマ教皇領とオーストリア支配下のヴェネツィアを除き、イタリアの大部分がサルディニア王国によって統一され、ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世は、1861年イタリア王国の成立を宣言し、初代イタリア国王に即位しました。
イタリアという国家が生まれたのは、此の時です。
此の後、ヴェネツィアは1866年、教皇領は1870年にイタリア王国の領土に編入されました。
1870年以降にローマがイタリアの首都となりますが、教皇領は完全に消滅した訳ではなく、小さいながらも現存します。
ローマ市内のローマ教皇庁の建物がある場所が其れで、バチカン市国と呼ばれています。
イタリアの統一に話を戻すと、ヴェネツィア編入以後もオーストリアとの領土問題は残ります。
これを「未回収のイタリア」と云い、オーストリア領のティロルとトリエステがイタリアの領土であるとして返還を要求し続けたのですが、この問題は第一次世界大戦迄持ち越されます。
政治的にイタリアは統一されましたが、長い間の分裂で北と南は経済的には大きな格差ができていました。
北イタリアは、工業が発展して豊か、南イタリアは農業中心で貧しい農村が多く、統一後も格差は埋まらず、現在迄続く問題と成っています。
南イタリア、とくにシチリア島からは、多数の農民が豊かな生活を夢見てアメリカへ渡りました。アメリカ映画に登場するマフィアは、イタリア移民が多く、夢を持ってアメリカに来たものの、既にイギリス系アメリカ人が政治経済の主流であり、英語も満足に話せないイタリア移民は、アメリカ社会の底辺から出発しなければ成りませんでした。
その様な背景から、同郷出身者同士で結束し、犯罪に走ったのがマフィアの原型なのです。
イタリアの統一終わり・・・

アスプロモンテのガリバルディ
◎ジョゼッペ・ガリバルディの登場
ガリバルディは、青年イタリアのメンバーとして以前から統一運動で活躍していた人物です。
1860年5月6日の事、彼は、全く個人的に義勇兵約1000人を集めて、2隻の船でサルディニアの港からシチリア島に向けて出発しました。
イタリア半島の南部からローマに向かって進軍し、イタリア統一を完成させるのが目的です。
彼の部隊は、そのメンバーの数から千人隊、若しくはガリバルディの赤いシャツから赤シャツ隊と呼ばれています。
シチリア島はイタリア半島の南半分にあるナポリ王国の領土で、この時ナポリの支配に抵抗する農民反乱が起きていました。
シチリアに上陸したガリバルディと千人隊は、農民達の支援を受けてナポリ王国軍を敗退させ、島を占領し、その勢いで、対岸であるイタリア半島先端に上陸、半島を北上し、ナポリ王国を滅ぼしてしまいました。
ガリバルディは、更に北上しローマ教皇領に攻め込もうとします。
イタリア半島の中央部は、フランク王国のピピン以来ローマ教皇領と成っており、特殊な場所です。ローマ教皇領の為、単純に武力で征服する訳には行かず、ローマ教会の信者は、イタリア人だけでなく全ヨーロッパに存在しており、ローマに対しては特別な感情を持っていますから、ここを武力征服してローマ教皇を敵に回せば、国際問題に発展しかねません。
事実、1860年のこの時点では、フランス軍がローマに駐留していますから、サルディニア王国も、ローマ教皇領には手が出せませんでした。
教皇領の存在がイタリア統一の大きな障害になっていたのです。
ガリバルディがローマに進軍して、フランス軍と戦闘に成った場合を苦慮した人物カヴールです。
フランスはイタリア統一戦争から後退していますが、ローマで武力衝突すれば、逆に統一を潰す方向で軍事介入してくる可能性があります。
カヴールは、サルディニア国王ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世自身に出陣を願い、ガリバルディを止める為、サルディニア軍を率いてイタリア半島を南下します。
10月26日、ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世は、ナポリの北にあるテアーノでガリバルディと会見します。
ガリバルディは、この直前におこなわれた住民投票で、ナポリ王国のサルディニア王国編入が決まったことを王に報告し、自分が占領した土地を王に献上しました。
ここでイタリア半島の統一がほぼ完成した訳ですから、二人の会見は劇的なものとして、幾つかの絵に描かれています。
実際には、この場でガリバルディはローマ進撃の許可を得ようとするのですが、王はこれを禁止し、彼の義勇軍をサルディニア正規軍に編入されてしまい、ガリバルディにとっては失意の会見だったと思われます。
此の後、ガリバルディは政治の表舞台を去り、カプレラ島で農業を営みながら余生を送りました。
ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世にとって、青年イタリア出身で民衆にも人望のあるガリバルディは、危険人物に思えたようです。
更に青年イタリアは、基本的には共和政を目指していましたから当然です。
ガリバルディの活躍で、ローマ教皇領とオーストリア支配下のヴェネツィアを除き、イタリアの大部分がサルディニア王国によって統一され、ヴィットリーオ・エマヌエーレ2世は、1861年イタリア王国の成立を宣言し、初代イタリア国王に即位しました。
イタリアという国家が生まれたのは、此の時です。
此の後、ヴェネツィアは1866年、教皇領は1870年にイタリア王国の領土に編入されました。
1870年以降にローマがイタリアの首都となりますが、教皇領は完全に消滅した訳ではなく、小さいながらも現存します。
ローマ市内のローマ教皇庁の建物がある場所が其れで、バチカン市国と呼ばれています。
イタリアの統一に話を戻すと、ヴェネツィア編入以後もオーストリアとの領土問題は残ります。
これを「未回収のイタリア」と云い、オーストリア領のティロルとトリエステがイタリアの領土であるとして返還を要求し続けたのですが、この問題は第一次世界大戦迄持ち越されます。
政治的にイタリアは統一されましたが、長い間の分裂で北と南は経済的には大きな格差ができていました。
北イタリアは、工業が発展して豊か、南イタリアは農業中心で貧しい農村が多く、統一後も格差は埋まらず、現在迄続く問題と成っています。
南イタリア、とくにシチリア島からは、多数の農民が豊かな生活を夢見てアメリカへ渡りました。アメリカ映画に登場するマフィアは、イタリア移民が多く、夢を持ってアメリカに来たものの、既にイギリス系アメリカ人が政治経済の主流であり、英語も満足に話せないイタリア移民は、アメリカ社会の底辺から出発しなければ成りませんでした。
その様な背景から、同郷出身者同士で結束し、犯罪に走ったのがマフィアの原型なのです。
イタリアの統一終わり・・・
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