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2012/07/14

人類の軌跡その427:統一国家の成立④

<ドイツ統一その①>

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ケーニヒスベルク城に於けるヴィルヘルム1世戴冠式

◎ドイツの統一

 ドイツでは、ナポレオンによってつくられたライン同盟が、1815年ウィーン会議で解体され、ドイツ連邦と成りました。
35の君主国と4つの自由市によって構成され、統一国家としての実態は在りません。

 これに対して、民族主義の立場からひとつのドイツを求める学生や市民の運動が起きてくるのです。現実問題としても、35の国に分かれている事は非常に不都合が多いものでした。
経済的発展に伴い、ドイツはひとつに結びついて行きますが、例えばミュンヘンからベルリン迄、旅するだけで、幾つ者国境を通らねばならず、商品を運べば、国境を通過する度に関税が掛かるのです。
ドイツ経済が発展して行く為には、ドイツの統一が是非とも必要な事は、誰の目にも明らかでした。

 1833年、プロイセンが中心となってドイツ関税同盟が結成され、加盟国間で関税を撤廃し、自由貿易による経済発展を目指したものです。
プロイセンは国が二つの地域に分かれ、ベルリン含む東の領土と、ライン川沿いの西の領土が存在し、その中間には別の国が存在しています。
プロイセンを東西に往来するだけで、他国を通らなくてはならず、関税同盟を必要とした理由は良く理解できます。
又、プロイセンはドイツ連邦の中ではオーストリアに次ぐ第二の大国で、他の小国を従わせるだけの実力が有り、何時か自国が中心と成ってドイツを統一したいと考えていました。
その様な背景から1848年の二月革命時に、フランクフルト国民議会によるドイツ皇帝推戴を拒否したのでした。

 イタリア王国が成立と同じ1861年に、新しいプロイセン国王ヴィルヘルム1世が即位しました。新国王は、ドイツ統一に乗り出し、サルディニアのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が、カヴールを首相に指名した様に、ヴィルヘルム1世が、ドイツ統一の為に首相に任命した人物がビスマスクでした。

 ビスマルクがドイツ統一の為に採用した有名な政策が「鉄血政策」。
鉄は兵器、血は兵士を表し、軍事力を強化して、征服によってドイツを統一する事を宣言し、着々と軍備を整えて行きます。
プロイセンが武力によるドイツ統一を考える時、障害になるのがオーストリアです。
オーストリアはドイツ連邦を構成する最大の国で在りながら、オーストリア帝国として、ハンガリー、ベーメン等他民族をも支配している大国で在り、更にこれ等地域を切り離す事は無いと宣言していました。
従って、ドイツを統一する為にはオーストリアを排除しなければならず、オーストリアと戦って勝利できなければ、ドイツ統一は不可能なのです。

続く・・・
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