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2012/07/24

人類の軌跡その434:南下政策とツァーリズム番外編

<番外編>

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Florence Nightingale,1820年5月12日 - 1910年8月13日

◎クリミアの天使

 イギリスのナイチンゲールが従軍看護婦として活躍して有名になったのも、クリミア戦争です。
ナイチンゲールは、新聞報道で激戦の様子を知り、負傷者の看護をしたいと考え、仲間の看護婦を募って戦場に出かけ、負傷者の看護に尽くしました。
野戦病院の衛生状態を改善して、負傷者の死亡率を40%から2%に引き下げ、劇的な改善を行いまいした。
 
 彼女は、敵味方の区別なく、すべての負傷者の手当をし、この人道的な行いが、後の1864年の国際赤十字の設立に繋がっていきます。
もう一つの功績は、看護婦の地位を高めた事で、看護婦は、ナイチンゲールが有名になる迄は、下層階級の女性が行うどちらかというと卑しい仕事、召使いの仕事と見られていました。
確かに、他人の血や膿に触れ、下の世話も必要、伝染病に曝される可能性も高い職業でした。
ところが、ナイチンゲールは、上流階級の出身にも係らず、この仕事に誇りを持って取り組み、彼女の活動が、看護婦を女性の仕事として価値あるものに高めたのです。
(現在は看護師とよび、男女の区別をしませんが、今日のように女性の社会進出が一般的ではなかった時代には、働く女性の代表的な仕事でした。現在の視点から19世紀のナイチンゲールを看護師と表現するのはそぐわないと考えて、あえて看護婦としています)。

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James Brudenell, 7th Earl of Cardigan

◎カーディガンの由来

 カーディガンという衣類が作られたのも、クリミア戦争が発端でした。
前線で負傷した兵士が、次々に野戦病院に運ばれてきますが、胸や腹に銃弾を受けている為、治療では服を脱がせなければなりません。
当時は防寒の為にセーターを着用しています。
ところが治療の為に、脱がせるには両腕を上げなければならず、苦痛で悶えている負傷兵のセーターを脱がせる事が一苦労でした。
そこでイギリス軍人カーディガン伯爵が、脱がなくても前を開けられる様に発明した衣類がカーディガンなのです。
クリミア戦争が其れまでにない激しい戦争で在り、ロシア軍は100万内52万が戦死、傷病死したという数字も存在しています。

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Marie Sklodowska(16歳のマリー)

◎マリー・キュリーの少女時代

 ノーベル賞を取った女性科学者マリー・キュリーは、独立運動鎮圧後のポーランドで少女時代をおくっており、伝記によればロシアの支配の様子が判って面白いです。
ポーランドの学校では、ロシア語で授業が行われ、ポーランドの歴史等民族主義的な授業は禁止されていました。
ところが、生徒も先生もポーランド人なので、ロシア人の監督官の目を盗んで、先生はポーランド語でポーランドの歴史を教えます。
監督官が学校に入って来る姿が窓から見えると、先生はサッと黒板を消して、生徒は机の中からロシア語の教科書を出して、さも今までロシア語の勉強をしていましたという振りをします。
監督官が教室に入ってくると、先生はマリーを指名し、小さい頃から賢く、指名されたマリーは、ロシア語で流暢に答えます。
それを見て、監督官は満足そうに頷き、教室から出ていきます。
この様な空気の中、ロシアへの反感と、独立への想いがいっそう強くなっていくのです。

南下政策とツァーリズム終わり・・・
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