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2012/07/26

人類の軌跡その436:フランスの状況②

<ナポレオン3世時代のフランスその②>

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ナポレオン3世とビスマルク

 ロシア、中国、ベトナム、当時のフランスより弱体で、しかもイギリスとの共同作戦ならば勝利して当然の後進国を相手に戦いました。
当時イギリスもフランスもアジアに、勢力を拡大しようとしている時です。
清朝が衰退の一途を辿る時期で、外交上の不備を突いて、戦争に持ち込み、相手に不平等条約を結ばせます。
アロー号戦争は当にその様な戦争のひとつでした。

 この時期の日本にも、イギリス、フランスは来朝しています。
黒船による開国、不平等条約の締結、尊皇攘夷運動や討幕運動等、騒然としている時期で、英仏とも中国に力を注いでいるので、日本を武力占領する考えは無かったと思われますが、日本の混乱を利用して勢力を拡大しようとしているのは事実です。

 幕末の情勢の中で、イギリスは薩摩と長州が将来の日本を担う勢力だと考えて、軍艦や銃器を引き渡し、これと反対に、フランスは徳川幕府との関係を強めて、日本に利権を得ようとします。
江戸幕府とフランスは友好関係が構築され、ルイ・ナポレオンは徳川慶喜に、贈り物をし、慶喜がルイ・ナポレオンに贈られたフランスの軍服を着ている写真が存在しています。
幕府軍の近代化の為にフランスから軍事顧問団を招き、フランス式の軍事教練を行い、1867年のパリ万博には、徳川幕府も茶店のパビリオンを出展しました。
当時、特に世界に誇る工業製品も無い日本では、茶店を建てて着物姿の芸者さんが、来館者にお茶を出したそうです。

 戊辰戦争の時勘定奉行の要職に在った小栗上野介は、慶喜にフランスから資金、武器、軍隊迄も借入可能なものは総て借入れ、徹底的に薩長と戦う事を訴えました。
慶喜には、勤皇派に対抗する意思は、殆ど無く容易く江戸幕府は倒れましたが、若しフランスの援助で戦争を継続した場合は、幕府が勝利しても、日本はフランスからの借金過多と成り、フランスの半植民地に成っていた事はほぼ確実です。

 イギリスやフランスは他国の内乱に乗じて、侵略するパターンが多く、当に、幕末日本も同様でした。
外史が伝える処によれば、小栗上野介は、フランスの援助と引き換えに日本の領土の一部を割譲する提案を行っていたと云います。

 最終的に、江戸幕府は倒れて、薩長主体で明治政府がつくられましたから、フランスは日本に大きな足掛かりを作れませんでしたが、場合によってはナポレオン3世によるフランスの栄光の中に、日本占領が加えられていたかもしれません。

 同時期、ペリーを派遣して日本を開国させたアメリカ合衆国は、南北戦争が勃発し、日本に対応する余裕は在りませんでした。

 ナポレオン3世が、セダンの戦いで捕虜になり退位した後、1870年9月フランス臨時政府が成立します。
政府首班はティエール、怒濤の勢いで進撃してくるドイツ=プロイセン軍に勝てる見込みはないと判断した臨時政府は、翌1871年2月にドイツと仮講和を結んで降伏し、ドイツ皇帝の戴冠式がヴェルサイユ宮殿でおこなわれたのがこの前月1月でした。

続く・・・


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