<19世紀後半のイギリスその①>
ヴィクトリア女王載冠式(ヴィクトリア女王とカンタベリー大司教)◎ヴィクトリア時代のイギリス イギリスが19世紀前半から自由主義的改革を実施しましたが、議会を通じて徐々に改革を進めて行く方法が、イギリス政治の特徴になっています。
17世紀にピューリタン革命とクロムウェルの独裁、名誉革命等の大変革を経験し、此れをフランスに当てはめれば、ピューリタン革命はフランス革命、クロムウェルの独裁はナポレオンの第一帝政、名誉革命は二月革命に比較する事が出来ます。
以上の様にイギリスは、フランスよりも100年以上社会運動で先行しており、ヨーロッパ諸国が革命運動や統一運動で激動している19世紀は、イギリスにとっては安定と発展の時代でした。
そのイギリスの繁栄を象徴するのがヴィクトリア女王で、1837年に18歳で即位して、1901年迄在位しました。彼女の在位期間は、まさにイギリスの繁栄の時代でした。
クリスタルパレスに於ける開会式展 第一回万国博覧会が1851年ロンドンで開催されます。
最大の呼び物がクリスタルパレス、此れは、鉄骨とガラスで建設した大パビリオンで、建設地に生えていたニレの巨木を伐採せず、そのままクリスタルパレスの中に入れました。
ガラスで出来た建物ですから、太陽光線は当たるので木は枯れず、この様な建築物さえ出来ると云うイギリスの工業技術力を世界に見せつけたのです。
クリスタルパレスの中には、ニレの木が生えているだけではなくて、産業革命で造られた様々な工業製品が展示されていました。
このロンドン万博の開会式で、ヴィクトリア女王は「わが生涯で最も光栄ある日のひとつ」とスピーチしました。
5ヶ月間の開催期間中の延べ入場者は600万人、トマス・クックが団体割引で入場者を集める旅行代理店業をしたのも有名です。
イギリス国王は「君臨すれども統治せず」が原則ですから、ヴィクトリア女王が、直接政治運営に関与していた訳では在りません。
19世紀後半のイギリスを動かしたのは、二人の政治家でした。
政権交代で交互に首相に就任した、自由党のグラッドストンと保守党のディズレーリです。
グラッドストンは自由主義的政策を推進した事で有名です。
敬虔なクリスチャンでキリスト教的人道主義の立場から戦争をあまり好みませんでした。
ディズレーリは逆に、帝国主義的な政策を進めた人物で、侵略戦争に積極的です。
アジア・アフリカで植民地を拡大していきます。
ディズレーリは、祖父の代にイタリアからイギリスに移住したユダヤ系の家系で、移民出身でも首相に成れると考えれば、日本人とヨーロッパ人では国籍、民族の感覚が違います。
ディズレーリは、何時も原色のけばけばしい服に、レースの縁取りをあしらい、香水の匂いを漂わせて、かなり奇抜な感じでした。
一方、グラッドストンはイギリス人がイメージする予言者のような風貌で、ディズレーリとは正反対の雰囲気の持ち主で国民には人気が在ったのです。
黒衣の女王 ヴィクトリア女王は、ディズレーリがお気に入りだったと云います。
夫アルバート候と死別して、引篭っていた女王を元気付け、公式の場に出て来る様に計らったのは、ディズレーリでした。
政党も個性も違うグラッドストンとディズレーリが、交互に政権交代を行ったのは、時代や状況の変化に応じて柔軟に政策を転換して行った事を意味します。
続く・・・
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