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2012/07/30

人類の軌跡その439:大英帝国②

<19世紀後半のイギリスその②>

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◎イギリスの政治の特徴

1、選挙権の拡大
19世紀後半より進展し、1867年、第二次選挙法改正。
都市労働者に選挙権が与えられ、有権者数は106万人から200万人に増加。
1884年、第三次選挙法改正。
農業労働者と鉱山労働者に選挙権付与、有権者数は440万人。

 選挙というと、投票用紙に名前を書いて投票箱に入れます。
誰に投票したかは、他人に判らない様にする、秘密投票が今では当たり前ですが、1872年迄は、イギリスでも秘密投票では在りませんでした。
有権者はひとりひとり役人の前で、投票予定者の氏名を順番に名乗っていました。
選挙権を保有するのが、一握りの大金持ち地主ばかりだった時代は、皆が仲間同士、秘密にする必要もなかったのでしょうが、有権者が増えて労働者や農民も参加すれば、当然利害の対立も激しくなり、圧力もかかります。
公正な選挙にする為、秘密にする必要が生まれてきたと思われます。

2、労働・社会立法

 1870年、教育法成立。
8歳から13歳までの義務教育が実施されますが、19世紀前半迄、教育は上流階級の独占物で、庶民に教育など必要はないと考えられていました。
1843年の数字ですが、男子の32%、女子の49%が自分の名前を書けませんでした。
産業が発展する過程で次の様な言葉が、公にされました。
「農民の子でも職人の子でも、予め産業制度用に育てられれば、後の仕込みの手間が大幅に省ける。すなわち公共教育こそ、産業社会には不可欠である。」(社会学者、アンドリュー・ウールの発言)

 先の選挙法改正にも関係しますが、本来選挙権は「教養と財産を持つ者」の権利と考えられており、有権者が無学では困るという発想も存在しました。
これらが、教育を権利として要求する労働者側の要求と一致して、教育法は制定されたのです。

 1871年、労働組合法成立。
労働組合の法的地位が認められ、社会主義運動では、1884年フェビアン協会が結成されます。
著名な知識人が多く、マルクス主義とは違う立場から社会主義を唱え、又、労働運動を積極的に支援しました。
労働組合運動とフェビアン協会等の活動が、後の労働党の結成に結びついていきます。

3、海外発展

 中国に対しては、1840年から42年にかけてのアヘン戦争と、1856年から60年のアロー号戦争を遂行し、中国を半植民地化していきます。
 
 インドでは、18世紀後半からイギリス東インド会社が領土を拡大していたのですが、インド人の大反乱を鎮圧したのち、1877年インド帝国を建国しヴィクトリア女王が、初代インド帝国皇帝に即位、全インドを支配下に入れました。
 
 エジプトでは、エジプトの財政難に乗じて、スエズ運河を買収。
スエズ運河はエジプト領内に位置しますが、運河はイギリスの所有物と成り、やがて、イギリスはスエズ運河警備の名目で、軍隊をエジプトに駐屯させ、エジプトを事実上支配する様に成ります。
 
 イギリス人が移住した地域で自治領が成立します。
カナダ連邦(1867年)、オーストラリア(1901年)、南アフリカ連邦(1910年)(カッコは自治領となった年)、イギリス人が原住民を排除して定住し、生活基盤を形成した場所で、まさしく植民地です。
イギリスは、これ等を全部含んで、大英帝国と呼ばれます。

続く・・・

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