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2012/08/02

人類の軌跡その442:オスマン・トルコ帝国の衰退②

<露土戦争②>

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ベルリン会議

◎露土戦争その②

 この休戦条約で在るサン=ステファノ条約は、ロシアが大ブルガリア国の独立をオスマン帝国に認めさせました。これは、ロシアの南下政策にとっては、画期的な成果でした。
大ブルガリア国の領土は、現在のブルガリアよりも可也広く、黒海海岸を領土に持つと同時に、地中海岸にも領土が存在し、結果として大ブルガリアの地中海岸の港にロシアの軍艦を配備する事により、ボスフォラス海峡とダーダネルス海峡を通過しなくても、地中海で軍事行動を実行可能と成ります。
クリミア戦争後、両海峡は軍艦の通航が禁止されている為、ロシアにとって最大の戦略的効果を行使できると共に、大ブルガリアはロシアのおかげで独立し、完全なロシアの同盟国となります。
ロシアの要求を拒絶する筈は無く、ブルガリアの港がロシアの軍港として利用されるのは確実でした。

 この条約の条項に強い反発を行った国が、イギリスとオーストリアでした。
イギリスは、東地中海地域を勢力圏に置き、ロシアの南下政策を止めたい、一方オーストリアは、バルカン半島に領土的野心を持っていたので、大ブルガリア国の成立によってロシアの勢力が拡大する事を阻止したかったのです。
両国は、サン=ステファノ条約に反対してロシアと対立し、ロシアとイギリス・オーストリア連合の戦争が勃発する可能性が極めて高く成りました。

◎ベルリン会議

 一触即発の国家間情勢の中、ドイツの宰相ビスマルクが、この対立の仲裁を行いました。
当時ビスマルクは、海外に植民地を持つ、更にはドイツの勢力圏を拡大する事は、一切考慮外の事でした。
ビスマルクには、ドイツの内政整備が最重要課題で、ドイツ帝国成立以来年数も少なく、建国以来10年を経過していません。
国内問題に専念し、その為には、平和を欲していたのです。
ドイツが戦争を好まなくても、国境を接する他国が戦争を始めれば、当然その影響がドイツにも及び、国内政治に専念する為の条件として、ビスマルクは「ヨーロッパの安定」を何よりも望んでいまいした。
ロシアもオーストリアもドイツの隣国ですから、この両国が戦火を交える事は絶対に阻止したかったのです。

 ビスマルクは「誠実な仲介者」として、戦争回避の為の会議を呼びかけ、各国に於いても、戦争を行う事無く問題を解決できるのなら、ぜひとも戦争は回避したい。
ビスマルクに領土的野心が無い事は、周知の事実で、この提唱に応じて1878年ベルリン会議が開かれます。

 会議の結果締結された条約がベルリン条約で、内容は以下の通りです。

1、ブルガリアは領土を縮小して、オスマン帝国内の自治国とする。
この意味は、地中海岸の領土を削り、ロシアの南下政策を阻止しますが、ロシアの面目丸つぶれと成り、「誠実な仲介者」の意味に成らない事から、ブルガリア以外にも、スラブ人の国家の独立を承認しました。
新たに独立を認められた国が、セルビアとモンテネグロ、スラブ系ではありませんが、ルーマニアも独立を承認されました。

 しかしスラブ系国家の独立が増加すれば、バルカン半島にロシアの影響力が大きくなります。
その為、
2、オーストリアと国境を接するオスマン帝国の二つの地域ボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権をオーストリアに与える。

3、イギリスはキプロス島を獲得、キプロス島は、シリア・パレスティナ・エジプト方面に対する戦略的要衝です。

 処でオスマン帝国は、自分の領土を割譲され、独立させられていますが、この会議には召集されませんでした。
当に弱体化の極みと云わざるを得ません。

オスマン・トルコ帝国の衰退、終わり・・・
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