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2012/08/09

人類の軌跡その448:ラテンアメリカの独立⑥

<ラテンアメリカの独立その⑥>

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ブラジル:サン・フランシスコ教会(18世紀バロック様式)

◎独立後の政治と経済

 1825年迄にスペインから独立した南米諸国は、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイですが、これらの国家建設は中々順調に進みませんでした。
この独立は、クリオーリョ等植民地人達の組織的な政治運動の積み重ねの結果、勝ち取った訳では無く、ナポレオンに翻弄されたスペイン本国の動揺に付入ったものだった事。
しかも、ボリバル、サン・マルティンという軍事的天才の活躍に負う所が大きかった事。
後二人が、ラテンアメリカから去って行かざるを得なかったのは、彼等にはクリオーリョ層の永続的な支持を得る事が出来ないからでした。

 独立は達成しましたが、国家構想等は全然存在せず、どの国も政治体制が安定する迄に、可也の年月と混乱を経なければなりませんでした。
これは、メキシコも同様で、副王軍の将軍の裏切りで達成した独立なので、当事者の将軍が帝政を布告し、更に内乱の発生等、政治的安定は中々訪れませんでした。

 黒人共和国として出発したハイチに対しては、奴隷制度を廃止した国として何となく理想的な政治の実現を想像してしまうのですが、ここでも帝政を布告する将軍が登場、更には南北に分裂と紆余曲折を経ました。

 こうした政治の不安定さは、独立の過程だけが原因ではなく、経済的な要因も存在し、独立は果たしても経済構造は変わらず、少数のクリオーリョ地主による農業生産が中心で、工業は未発達のままでした。
ハイチではプランテーションが消滅し、小規模農民が多数生まれたのですが、農業生産性は著しく落ち込み、中産階級、中堅市民層が発展しませんでした。

 貿易は、イギリスに従属する形に成り、イギリスから安価な工業製品が流入し、工業は発展せず、輸出は、農作物と鉱業生産物が中心に成らざるを得ません。
以前から南米大陸を市場として狙っていたイギリスは、ラテンアメリカ諸国の独立によって、その目的を達成したのです。

 市場獲得を実現したイギリスは、ラテンアメリカ諸国の独立を歓迎しましたが、当時ヨーロッパ政界はメッテルニヒが主導するウィーン体制下に在り、自由主義や民族主義運動は抑圧していました。
従って、ラテンアメリカ諸国に干渉し、独立を抑え込む可能性も存在しましたが、この行動に一石を投じたのが、アメリカ合衆国大統領モンローが1823年に出した「モンロー宣言」です。
この中で、モンローは、今まで合衆国はヨーロッパの植民地に干渉した事は無く、既に独立したラテンアメリカ諸国にヨーロッパ諸国も干渉しない事、を謳っています。
アメリカ大陸とヨーロッパ諸国の相互不干渉を唱えたのですが、これは、合衆国が独立したラテンアメリカ諸国を市場として確保したかった野心の裏返しです。

ラテンアメリカの独立、終わり・・・

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