2012/08/16

人類の軌跡その451:アメリカ合衆国③

<アメリカ合衆国の発展その③>

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◎政治②

 西部開拓と関連して重要な人物が第七代大統領ジャクソン(在職1829年~37年)です。
東部の名門出身者が大統領に選ばれてきた中で、初の西部出身の大統領で取り分け有名で、西部出身の粗野な荒くれ男というイメージが、彼の「売り」なのです。

 彼にまつわるお話で、良く知られている話に、大統領に就任してから、書類を決裁する時に「All Correct」(承認)の略でACと書くべき所を、ジャクソンは綴りを知らなかった為、OKと書いてしまいました。
しかし、大統領の無学を指摘する事も憚られるので、そのままOKを使い続け、何時の間にか、普通の言葉になってしまったと云う逸話があります。
このお話は、決してジャクソンを馬鹿にしている逸話では無く、逆にアメリカ国民が彼に親しみを抱くプラスのエピソードだったのだと思います。

 近づきがたいエリートでは無く、西部出身の庶民の味方で、彼の人気は高かく、西部の小農民や南部の奴隷所有の農園主が熱烈にジャクソンを支持しました。
彼の時代に、普通選挙制度が各地に広がり、民主主義の発展した時代として、ジャクソニアン・デモクラシーと呼びます。

 ジャクソンは大統領になる前から、米英戦争で活躍した軍人として人気があったのですが、その「活躍」の中身は、先住民(ネイティブ・アメリカン)に対する迫害でした。
土地を求める白人地主・農民の為に、邪魔な先住民を追い払う事、その様な「実績」で人気が在ったのです。

 大統領に就任してからは、先住民の土地収用を合法的に大々的に実施しました。
先住民に対する強制移住政策を行い、豊かな土地で農業をしていた先住民の部族から、無理矢理に移住の同意を取り付け、僅かな補償金と引き替えに、西部の不毛な土地に移住させました。
チェロキー族は移住のその道程で、途中多くの死者を出し、その旅路は「涙の道」と呼ばれています。

 では新しい土地に移住させられ、先住民はどうやって生活して行ったのでしょう?
生活基盤を破壊された、先住民の人口は激減し、推計ですが、1845年には100万人以上を有した人口は、1870年には2万5千人、農地を奪われても、従来ならバッファローを狩る事で、先住民は生活を維持できたのですが、そのバッファローも白人の乱獲によって激減します。
1865年の1500万頭が、1880年には数千頭に迄激減しました。

続く・・・

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