2012/08/22

人類の軌跡その456:列強の進出②

<エジプトの自立その②>

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1821年3月25日、戦いの宣誓を行うパトラ府主教パレオン・パトロン・ゲルマノス

◎ギリシアの独立

 1821年にはギリシアで独立戦争が始まりました。
当時、ヨーロッパ列国はウィーン体制のもとで、民族運動には冷淡でしたが、ギリシアはヨーロッパ文明の根源で在り、イギリスの詩人バイロンが義勇軍として独立戦争に参加し、フランスの画家ドラクロワが「シオの虐殺」と題するオスマン軍による、ギリシア人虐殺事件を描き、次第にヨーロッパ人に注目されます。

 また、南下政策を推進するロシアが、この機会にバルカン半島への勢力拡大を画策し、ギリシアを支援してオスマン帝国と開戦、イギリス、フランスもギリシア独立に介入して、1829年のアドリアノープル条約で、ギリシアは独立を達成しました。

 バルカン半島には、独立したギリシア以外にも、スラブ人、ギリシア正教徒が多数住んでいますから、彼等もこの後オスマン帝国からの自立を求めて、運動を活発化させ、オーストリアやロシアがこの運動を援助しますから、オスマン帝国政府は、ますます難しい状況になっていきます。

◎エジプトの自立

 既に18世紀から、アフリカ北岸地域では、在地勢力が、オスマン帝国の宗主権を認めながらも、地方政権をたてていました。
エジプトはオスマン帝国から自立しただけでなく、ヨーロッパをモデルに国家建設を理想としました。
しかも、その理想は、一時実現を見る処迄達成されるのですが、最終的には、失敗してイギリスの植民地になってしまいます。
従って、19世紀のエジプトの歴史は、アジア・アフリカ諸民族が、最も早い時期に欧化を目指し失敗した先駆的な例となり、ヨーロッパがアジア・アフリカを従属化、植民地化していく一つの典型なのです。
又、エジプトの試みが、オスマン帝国の衰退と絡み合いながら進行していった事も重要です。

 エジプトの自立はナポレオンの遠征から始まります。
1798年、ナポレオン率いるフランス軍がエジプトを占領し、これに対抗して、イギリスはエジプトに軍隊を派遣しましたが、エジプトはオスマン帝国の領土なので、当然、オスマン帝国政府も各地の部隊をエジプトに送り込みました。
この時、派遣されたオスマン軍の将校の一人が、ムハンマド・アリーです。
アルバニア系と云われ、エジプト人でも、トルコ人でも在りません。
このムハンマンド・アリーが、徐々に頭角を現し、やがて、エジプト派遣軍を掌握、1801年と1803年にフランス軍とイギリス軍がそれぞれ撤退した後、カイロの有力者達の支持を得て、1805年にはエジプト総督を名のります。オスマン帝国政府は、これを追認するしか無く、この段階で、オスマン帝国の宗主権のもとに、ムハンマド・アリーのエジプトが自立したのです。

続く・・・
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