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2012/08/31

人類の軌跡その463:アジアに翻るユニオンジャック①

<イギリスのインド支配①>

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◎インドの政治状況

 インドは、16世紀以降、ムガル帝国が統治していましたが、第6代皇帝アウラングゼブ(在位1658年~1707年)の死後、衰退が著しく、各地で在地勢力が自立していきます。

 代表的なものが、インド中部のデカン高原を中心とするマラータ同盟、インド北部パンジャーブ地方のシク教国です。
マラータ同盟はマラータ族の諸侯連合でヒンドゥー教の国。
シク教国は、その名の通り宗教であるシク教によって建てられた国で、シク教は16世紀前半にナーナクが創始した宗教で、イスラム教とヒンドゥー教を融合したものです。
シク教徒の男性は、長く伸ばした頭髪をターバンで包び、名前の最後に必ずシング(シン)とつけるのが特徴で、現在でもそれは変わりません。
シク教徒は勇猛果敢で知られています。

◎イギリス東インド会社によるインド征服

 ムガル帝国の衰退と入れ替わるように、イギリスがインドに登場します。
イギリスは17世紀以降、マドラス、ボンベイ、カルカッタに商館を建設し、此の地を拠点として貿易を本格化させます。
商館と称していますが、実際には要塞で、商売だけでなく、地元の権力者との交渉や戦いによって土地も獲得していきました。

 フランスも、17世紀後半には、同様に商館を建設しました。
フランスが拠点にしたのはシャンデルナゴルとポンディシェリで、シャンデルナゴルはベンガル地方にあってカルカッタに近く、ポンディシェリも南インドでマドラスに比較的近い処です。
当然、イギリスとフランスは競合することになります。

 一時は、フランスがイギリスを圧倒した時期もあったのですが、18世紀の半ばに南インドでイギリスとフランスが戦ったカーナティック戦争で、イギリスが勝利してからは、南インドでフランス勢力は衰退します。

 そして、ベンガル地方でイギリス(イギリス東インド会社)とフランス(フランス東インド会社)の戦闘が、1757年のプラッシーの戦いです。
イギリス軍の兵力は約3000。
但し、イギリス兵は950名程で残りの2000名は、イギリスが現地で雇った傭兵でした。

 対するフランス軍は、フランス兵は僅か50名、しかし、フランスは現地の支配者であるベンガル太守と同盟を結んでおり、このベンガル太守軍の兵力約6800。
イギリス対フランスの戦争と云われますが、戦いの中心となっているのはインド人同士なのが特徴的です。
又、イギリス本国兵とフランス本国兵の少なさは、意外ですがヨーロッパからインドまで兵士を派遣するのは、イギリスもフランスも大変な負担だったのです。

続く・・・

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