2012/09/03

人類の軌跡その465:アジアに翻るユニオンジャック③

<イギリスのインド支配③>

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インド大反乱(セポイの乱)

◎イギリス東インド会社によるインド支配

 イギリス東インド会社が、インドを支配するように成り、インドは重い負担に苦しむようになりました。
まず、税負担では、イギリス東インド会社の徴税額は、1765年ベンガル太守時代には、82万ポンド、1770年東インド会社時代になると234万ポンド、1790年には340万ポンドと、増加しつづけています。
別の資料によると、東インド会社による地租(土地税)収奪は、1771年から72年にかけて234.2万ポンド、これを指数100とすると、1821年から22年が1372.9万ポンドで、指数589、1856年から57年が1531.8万ポンドで指数654、どんどん税額が増えている事が判ります。

 税を増やすだけでなく、東インド会社は、インド農民に高く売れる商品作物の栽培を強制します。綿布の染料に使う藍や、麻薬アヘンの原料となるケシ等、小麦など食糧をつくるべき畑で、食糧を作る事を許されず、食糧生産量は落ち、藍やケシをいくら栽培しても、人間の空腹を満たす事は出来ず、この結果、飢饉が激増しました。

インド大飢饉の回数は以下

18世紀 大飢饉3回 死者数不明
1800年~25年 大飢饉5回 死者100万人
1826年~50年 大飢饉2回 死者40万人
1851年~75年 大飢饉6回 死者500万人
1876年~1900年 大飢饉13回 死者1600万人

 19世紀に2000万人以上が餓死しているのは、イギリスの支配によって、インドは貧困に追い込まれた結果なのです。

◎インド大反乱

 イギリス東インド会社は、インドを支配するための軍隊を保有していました。
東インド会社の軍隊であり、全兵力23万8千人、兵力の内訳はイギリス兵、つまりイギリス人の軍人が、その人数は3万8000人、残りの20万人がインド人傭兵です。
このインド人傭兵をシパーヒー(またはセポイ)といいます。
シパーヒーは上級カースト出身者が多く採用され、イギリス側は、カースト制度を利用して効率よく支配するために、上級カースト出身者を採用したのでしょう。
また、上級カーストの者にとって、たとえ支配者がイギリス人であっても、自分達が支配者側の一員になることは抵抗感が少なかったのかもしれません。
俺たちは偉いのだから、イギリス人が雇うのは当然、イギリス人と同じ支配者階級になるのは当然、と思っていたのかもしれません。
この約20万のシパーヒーが、イギリス東インド会社のインド支配の最終手段、暴力装置でした。
シパーヒー達がイギリス東インド会社から離反すれば、イギリスの支配は不可能になります。
イギリス東インド会社軍としては、シパーヒーを飼い慣らし、手なずけておかなければならないのですが、1857年シパーヒーの反乱が起こりました。

続く・・・
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