2012/09/06

人類の軌跡その466:アジアに翻るユニオンジャック④

<イギリスのインド支配④>

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◎インド大反乱その②

 原因は種々存在しますが、そのひとつが、イギリス人のインドの伝統文化に対する無理解です。
例えば、インドのバラモン等の上級カーストに、サティという風習が在り、インドでは人が死ぬと、一般に火葬を行いますが、夫婦で夫が先に亡くなった場合に、火葬をしている炎のなかに、未亡人が飛び込んで自ら命を断つ慣行が在りました。
夫の死を悲しんでその後を追う行為は、貞淑な妻の鏡であり、素晴らしい行いであるとして、サティが奨励されていた。

 ところが、この風習をイギリス人が見れば、驚き以外の何物でも在りません。
夫が死んで、妻が後を追う姿は、老夫婦を思い浮かべるかもしれませんが、イギリス人が見た夫婦は全く異なる姿でした。
50代60代の富豪のバラモン男性が、年をとってから、14歳15歳の花嫁を迎えると事が当時は普通に行われており、60歳で死んだ夫を焼く炎のなかに飛び込むのは、まだ子供と言っても過言では無い少女なのです。
どう考えても、この様な少女が、自ら死にたいと願っている訳がない。
「早く火に飛び込め」、という親族一同の視線に晒されて、死なざるを得ない様に精神的に追い込まれていく姿が、実際の姿で在った様です。

 そこで、イギリスは、野蛮きわまりない行為として、サティ禁止令を出しました。
ところが、サティはバラモン身分の者には、自分たちの身分にだけ許された美しい慣行で有り(低位カーストではサティは行われていませんでした)、それを、一方的に野蛮と決めつけられ、イギリスに反発します。
インド古来からの風習を、イギリス人は野蛮と感じ、見下します。
インド人からすれば、イギリス人とは価値観は違うかもしれないが、インドは3千年以上の歴史を持つ文明国です。
一方的に野蛮人扱いされる事に我慢できず、シパーヒー達も、さまざまな不満をイギリス人に対して持つようになるのです。

 その中で、シク戦争が終了し、インド征服が完了すると、シパーヒーへの待遇が悪化しました。
更に、ヒンドゥー教のタブーに係わる命令が出され、シパーヒーの不満は増大します。
命令の中には、シパーヒーに対する海外派兵、新式銃の使用が在りました。
まず、バラモン等の上級カーストでは、インドの外に出ると身分が汚れると考えられていた為、海外派兵に反発します。

 新式銃が、反乱の直接的な原因になります。
この時代、銃は基本的に日本の戦国時代と同様、銃の先端から火薬と玉を入れて、銃身底部に押し込める先込め銃でした。
東インド会社軍が採用しようとした新式銃、エンフィールド銃も、先込め銃なのですが、火薬と弾丸が一緒に筒状の油紙に包まれており、以前では、装填時に、火薬は火薬入れから取り出し、玉は別のところから取り出して、銃に込めていました。
エンフィールド銃は、この火薬と玉が一対になっているので、同時に取り出せるわけです。
弾薬包みを取り出して、歯で噛みちぎり、包みから火薬を銃に流し込んだあと、油紙がついたままで弾丸を落とし込むのですですが、この油紙の油に牛と豚の脂が使われているという噂が流れました。
これがシパーヒー達の猛反発をよびました。

 弾丸を込める時に油紙を噛みちぎるから口に触れる。
牛はヒンドゥー教徒にとって神聖な動物で、その脂を口にするということは絶対にできません。
身分が汚れてカーストから追放です。
又、豚はイスラム教では不浄の動物とされ、ムスリムのシパーヒーもこれを口にする事を拒否しました。

 イギリス人の軍幹部は、牛と豚の脂は使用していないと、否定しましたが、一度広がった噂は消すことが出来ませんでした。
それまでの、イギリス側の姿勢に対する反感も手伝って、各地の部隊で不穏な雰囲気が高まっていきました。

続く・・・

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