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2012/09/10

人類の軌跡その469:東南アジアの国々①

<東南アジアの動向①>

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◎ミャンマー

 イラワディ川流域に最初に登場する国はピューと云い、建国した民族はピュー人、8世紀から11世紀くらい迄存続しました。

 この国を滅亡に導いた民族がパガン朝。
イラワディ川中流のパガンを都に繁栄し、ミャンマー最初の統一王朝とされます。
民族はミャンマー人、スリランカから上座部仏教を導入し、雲南地方とベンガル湾をむすぶ交易で繁栄しましたが、元の侵入が原因で1287年に滅びました。

 13世紀から16世紀にかけて、イラワディ川下流地域にはモン人のペグー王国が繁栄します。
モン人は、チャオプラヤ川下流でも7~8世紀にドヴァーラヴァティーと呼ばれる国を形成しています。
ドヴァーラヴァティーは、港市国家連合で、モン人は、ミャンマーからタイにかけて、海上貿易で活躍した民族のようです。

 ペグー王国を滅ぼして建国した国がトゥングー朝(1531年~1752年)。
ミャンマー人とモン人の連合国家でパガン朝に続く、ミャンマー二度目の統一王朝で在り、一時はタイのアユタヤを支配した事もあります。

 トゥングー朝がモン人の反乱の為に滅亡した後、ミャンマー人が建国した国がコンバウン朝(1752年~1885年)。
清朝支配下の雲南地方に侵入し(1765年)、タイのアユタヤ朝を滅ぼし (1767年)、軍事的には活発でした。
1822年にはインドのアッサム地方を征服しますが、これを契機に、その2年後の1824年にはイギリスとの第一次イギリス・ビルマ戦争が始まりました。
イギリス・ビルマ戦争は、1852年の第二次、1885年の第三次と断続的に発生し、1885年にコウバウン朝は滅ぼされ、ミャンマーはインド帝国に編入されました。

◎ヴェトナム

 ヴェトナムの歴史は大きく北と南に分かれ、北には中国の影響を受けながらヴェトナム人国家が、南部にはチャム人の国家が形成されてきました。

 南部にあったチャム人の国家チャンパーは、2世紀頃に成立し、15世紀後半にヴェトナムの黎朝に滅ぼされました。
南シナ海貿易で繁栄し、中国の歴史書には、林邑(りんゆう)、占城(せんじょう)という表記で登場します。
文化的には、インド文化の影響を大きく受け、東南アジア地域は、北部ヴェトナムを除いて、インド文化の影響が強い地域です。

 チャンパーは黎朝に滅ぼされましたが、チャム人は少数民族として、現在もヴェトナム南部に存続しています。

 北部は、東南アジアで唯一中国文明の影響を強く受け、紀元前214年、秦の始皇帝によって、現在の広西省、広東省からヴェトナム北部にかけて南海郡、象郡など3郡が設置されました。
秦が衰えると、南海郡の漢人が自立して、南越国が成立しましたが、漢の武帝はこれを滅ぼし、紀元前111年、ヴェトナム北部に、交趾(こうし)郡、日南郡など3郡を設置しました。
この後、唐が滅亡する10世紀前半迄、中国の王朝が交代しても、ヴェトナム北部は中国の支配下でした。
その中で紀元40年のチュンチャク、チュンニ姉妹の反乱は、ヴェトナムの独立反乱として有名です。独立こそ果たせませんでしたが、指導者のチュンシャク、チュンニの姉妹は、現在ヴェトナムでは民族的英雄です。

続く・・・


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