2012/09/12

人類の軌跡その471:東南アジアの国々③

<東南アジアの動向③>

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◎ヴェトナム③

 この阮朝が成立して約60年後、フランスでは、ナポレオン3世の時代になり、積極的な海外での軍事行動を展開しましが、その標的となったのがヴェトナムでした。
阮朝ではキリスト教を禁じていたにもかかわらず、密入国したフランス人宣教師の活動が途絶えることが無く、阮朝政府は、しばしば宣教師を弾圧処刑していたのですが、却ってこの行為がナポレオン3世の出兵口実となりました。

 1858年、フランス軍が中部の港町ダナンに上陸し、侵略が始まりました。
阮朝は、成立当初から国内各地で反乱が絶えず、軍事的には弱体で、フランス軍を撃退する事ができず、1862年、サイゴン条約を結び、ヴェトナムの南東部をフランスに割譲しました。

 フランスは、次にメコン川を遡り、中国南部との通商路を確保する行動を取り、1863年にはメコン上流にあるカンボジアを保護国化します。
但し、メコン川流域探検の結果、途中に滝等の障害が多く中国に到達することは不可能だとわかります。
中国に辿り着く河川を探索する名目で、次は北部ヴェトナムを得るために、阮朝への侵略戦争は続いたのです。

 この時、劉永福率いる中国人義勇軍「黒旗軍」が、ヴェトナム政府の為にフランス軍と闘っています。
之より少し前、中国では太平天国の乱が起き、劉永福達は、この反乱軍の一部隊で、反乱が鎮圧されたあとヴェトナムに逃れてきていたのです。
劉永福は、更にこの後、台湾に渡り、日本軍とも闘い、国境を越えて、帝国主義国の侵略に抵抗した象徴的な人物として取り上げられているようです。

 結局、阮朝はフランス軍に破れ、1883年、ユエ条約でヴェトナム全土がフランスの保護国となってしまいました。

 清朝は、ヴェトナムの宗主国でした。
近代的な支配従属関係では在りませんが、清朝は阮朝の保護者的立場に立っています。
宗主国で在る清朝は、ヴェトナムがフランスの保護国になったのを黙って見過ごすわけには行きません。
その結果勃発した戦いが清仏戦争(1884年~85年)ですが、結局清朝が敗走し、1885年の天津条約で、ヴェトナムに対する宗主権を放棄し、フランスの保護権を承認しました。

 1887年、フランスは、ヴェトナムとカンボジアを合せてインドシナ連邦としました。
1899年には、ラオスもインドシナ連邦に編入され、第二次大戦中の日本占領下の一時期を除き、1945年迄フランスはこの地域を植民地としたのでした。

続く・・・

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