2012/09/15

人類の軌跡その472:東南アジアの国々⑤

<東南アジアの動向⑤>

10_convert_20120915171245.jpg
ボロブドゥール

◎インドネシア

 東南アジアの島嶼部で、オランダの植民地となった部分が現在インドネシアとして独立していますが、オランダに支配されるまではさまざまな国が存在していました。

 スマトラ島を中心とするシュリーヴィジャヤ(7世紀~14世紀)、マラッカ海峡の要衝に位置し、貿易船のルートとなり繁栄しました。
インド迄海路を旅した唐の僧義浄(ぎじょう)が著した『南海寄帰内法伝』に登場しています。

 ジャワ島ではシャイレーンドラ朝(8世紀)、有名な石造りの仏教寺院の遺跡ボロブドゥールを残した国です。
 ジャワ島ではもうひとつシンガサリ朝(1222年~92年)、この国は元の侵入を撃退しています。
ジャワ島の三つ目がマジャパヒト王国(1293年~1520年?)、スマトラ島のシュリーヴィジャヤを圧倒し、東南アジア交易を支配しました。
島嶼部最後のヒンドゥー教国であり、マジャパヒト王国以後は、島嶼部にはイスラーム国家が成立していきます。

 16世紀以降になると、この地域にポルトガル、やがてオランダが来航します。
オランダは、1623年のアンボイナ事件で、イギリス勢力を駆逐しインドネシアでの貿易を独占しましたが、17世紀以降は、過剰供給でヨーロッパでの胡椒価格が暴落し、香辛料貿易中心の商業活動だけでは利益を計上する事は困難に成り、オランダはジャワ島を中心に、ヨーロッパで高価で販売できる商品作物の栽培をおこなうようになった。

 その為に行った政策が、強制栽培制度で在り、1830年以降、オランダは、コーヒー、サトウキビ、藍などの商品作物の栽培をインドネシアの農民に強制したのです。
耕地の5分の1に強制が実施され、その結果、食糧生産が減少し、オランダは莫大な利益を得ましたが、1845年からの凶作では多数の死者が出ました。
1904年、オランダはインドネシア全域を占領し、植民地オランダ領東インドが成立しました。

◎マレー半島

 マレー半島には、14世紀マラッカ王国が成立します。
この国家は東南アジア最初のイスラーム国家で、これ以後、小さなイスラーム国家が半島に多数成立していきました。
マレー半島は、マラッカ海峡に面する海上交通の要所で、マラッカ王国は貿易港として繁栄しますが、1511年ポルトガルによって占領され、その後、1641年にはオランダがポルトガルから奪い、1795年にはイギリスが更にオランダから奪いました。

 イギリスは、1786年にペナン島、1819年にはシンガポールを獲得し、マラッカと併せて1867年に海峡植民地としました。
1895年には、更に領土を拡大してマレー連合州を編成しますが、現在のマレーシアにあたります。
イギリスは、マレー半島で錫高山の開発をおこない、労働力不足を補うために、中国人やインド人の移民が多数集められました。
その為、原住民であるマレー人とインド系、中国系等さまざまな民族が混住する複合社会が形成されました。

東南アジアの同行・終わり・・・
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

No title

こんばんは。
中国の動向が気になる中、今後わが国と東南アジアのお付きあいはますます重要になりそうですね。
今回の特集であまり知らなかったご近所さんのこと少しわかった気がします。^^

No title

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

経済学博士

シュリヴィジャヤは14位か国を傘下に収める大海洋帝国でしたが、本拠地は南タイのチャイヤーです。パレンバンは14か国のうちの1つの属領です。詳しくは小生のHPをご参照ください。