2012/09/22

人類の軌跡その478:アジアに翻るユニオンジャック⑪

<アヘン戦争その⑥>

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密輸阿片倉庫

◎厳禁論と弛禁論②

 その取締方法とは、まず布告を出して、1年後にアヘンを吸飲した者、アヘンやアヘンを吸飲する為の道具を持っている者を死刑にすると住民に告げます。
アヘン中毒になっている者は、1年以内に断ち切る事、アヘンや吸飲道具を持っている者は、自主的に役所まで差し出した者については、1年以内ならば罪に問わない、としました。

 更に、林則徐は密告を奨励したのです。
1年経過後、アヘンを吸飲している者がいれば密告する様に告知します。
密告は、住民同士が監視しあい疑心暗鬼に成り、社会が暗くなります。
密告を奨励する政治が、まともな政治でない事を林則徐は、十分承知しているので、この様に言います。
「密告と云う手段は、良くない、無実の者を冤罪で密告し、密告された者が処刑されたらとんでもない事でが、アヘンの場合は無実の者が罰せられる事は決してない。
アヘン吸飲で密告された者を逮捕して、一日椅子に座らせておけば無実かどうかすぐわかる。
アヘン吸飲者であれば、禁断症状が出るから一目瞭然、吸飲者でなければ、平然としているだろう。そうならば、すぐに釈放してやり、密告した者を逆に逮捕して罰することができる。
だから、アヘン取締に関しては、密告という手を使っても大丈夫だ」と。

 林則徐の意見書は、論理的で理路整然としており、何よりも清朝を憂う気持ちにあふれていました。
林則徐に興味を抱いた道光帝は、かれを北京に呼び寄せ、直接面談をする事とします。

 林則徐は、北京に到着すると、即座に紫禁城に赴き、皇帝とアヘン問題について話し合いました。
道光帝は、林則徐の考えや人柄を大いに気に入り、一回の話では満足せず、明日も来い、又明日も来い、と呼びだし続け、二人の話し合いは連日8回に及んだと云います。

 しかも、呼び出す度に、道光帝による林則徐の待遇が良くなりました。
紫禁城は広大ですが、広大であるにも関わらず、役人達は歩いて宮殿内を移動します。
林則徐も最初は徒歩で入城し、皇帝の執務室迄赴くのですが、林則徐を気に入った道光帝は、「この広い紫禁城の奥迄歩いてくるのは大変だろう、明日は乗馬で入城するのを許す」、と言うのです。
之は破格の特別待遇で「紫禁城賜騎(しきんじょうしき)」と言われ、有名なエピソードです。
林則徐はこれに応えて翌日は、馬に乗って登城、乗馬したまま紫禁城内も移動しました。
ところが、林則徐はあまり乗馬が上手ではなかったので、道光帝は、これを見ていたらしく、「明日は椅子駕籠で来い」、と言います。
これは八人で担ぐ御輿の上に椅子を設置したもので、馬よりも更に位が高い扱いに成りました。
異例中の異例、あり得ないような好待遇なわけです。
当然、城内では、物凄い話題と成り、林則徐がどれ程皇帝陛下に信頼されているか、誰も知らない者はなくなるわけです。

 林則徐との話し合いを重ねて、ついに道光帝はアヘン厳禁に踏み切りました。
道光帝は林則徐を欽差大臣に任命し、広州に派遣しアヘン貿易の取締を命じます。
欽差大臣は、皇帝と同等の権限を持つ大臣で、欽差大臣の命令は皇帝の命令に等しく、それくらい重い役職です。

 道光帝は、馬鹿ではないから、官僚達の多くが弛禁論者であるなかで、単純に厳禁論者の林則徐にアヘン取締をさせても、反対派の抵抗にあって手腕を発揮できない事を恐れたのだと思われます。
その為に、乗馬や駕籠を許し、如何に皇帝が林則徐を信頼しているかを官僚集団全体に見せつけたのでした。
皇帝との信頼関係を見せつけられれば、弛禁論者も林則徐の仕事を妨げようとは思わないでしょう。

続く・・・

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コメント

非公開コメント

とても・・・

とても興味深く拝見しました。
これから楽しみにしています(^^)

Re: とても・・・

ありがとうございます。

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