人類の軌跡その479:アジアに翻るユニオンジャック⑫
<アヘン戦争その⑦>

アヘン処理貯水槽のジオラマ
◎林則徐のアヘン取締戦争
道光帝の期待を一身に担い、林則徐は北京から広州へ向かいました。
この旅の途中でも有名なエピソードが生まれます。
林則徐は、広州迄の街道沿いにある府や県の長官に事前に手紙を出し、欽差大臣林則徐は、何月何日にその地域を通過するが、決して接待をするなと云う手紙です。
宿泊、食事をする予定の地域の行政長官には、「同行人数は何名である、食事はこれだけのものを用意すれば十分である、それ以上の料理を決して出すな」、と書き送り、しかも、これは遠慮しているのではなく、命令であるから絶対守れと書き添えました。
当時の中国では、中央の大官が、地方に出向くときは接待を受けるのが当然、賄賂を受け取るのも当然でした。
地方の長官とすれば、皇帝お気に入りの大物官僚に気に入られたい、少なくとも悪印象を持たれて皇帝に告げ口をされては堪りません。
その為、全力で接待を行う事が普通ですが、これは地方長官にとっては大きな負担でした。
しかも、その負担は最終的に地方住民への税金に転嫁されます。
地方長官を長く務めた林則徐は、その様な風習を苦々しく思い、そこで、自分が逆の立場になったいま、あらかじめ接待を禁じる命令を出したのです。
欽差大臣としては、異例の簡素な旅行でした。
林則徐が賄賂を受け取らない清廉潔白な人物であると云う噂はすぐに広州にも伝わったのです。
広州でアヘン貿易を行なっているイギリス商人達は、アヘン取締の命を受けた大臣、林則徐がやって来ると云う話を知りました。
最初は全然気にする事も在りません。
なぜなら中国の役人は、誰でも賄賂を握らせれば形だけの取締をして、後はアヘン貿易を黙認する事が常でした。
従って林則徐も、賄賂でなんとかなるだろうと考えていたのでが、林則徐が接待を禁止しながら広州に向かっている情報が入ると、これは今までの役人とは違うかも知れないと考えはじめたようです。
イギリス商人よりも、最も彼の存在を恐れた面々が広州の役人達です。
彼らのほとんどが、イギリス人から賄賂を受け取っており、林則徐が着任したら、自分たちはどういう目に遭うのか、大変な騒ぎに成りました。
1839年、広州に着任した林則徐は、中国人アヘン商人と、その便宜を図っていた役人や軍人で特にその行いの悪い者を逮捕しましたが、その他大勢の役人、軍人については、今後は心を入れ替えよということで、過去の振る舞いは不問にしました。
厳しいばかりではない、この様な態度が、部下の気持ちを掴み、かえって綱紀粛正が進んだようです。
林則徐は早速イギリス商人に対して、アヘンを総て差し出す事と、今後アヘン貿易を行わないという誓約書を出す様に迫ります。
広州には300人近いイギリス商人が住んでおり、政府から派遣されている貿易監督官チャールズ・エリオットが彼等を指導していました。
エリオットは、取敢えず林則徐の権威を保つ為に少しだけアヘンを供出して、後は有耶無耶にしてやろうと考えたのです。
1037箱のアヘンを差し出して、これで全部ですと言う。
ところが、林則徐は事前にアヘンの消費量や取引量などを計算していて、2万箱近いアヘンが沖合の貯蔵船にあると踏んでいました。
イギリス商人達は広州城外の一角に作られた外国人居住区に住んでいたのですが、林則徐は軍隊でこの居住区を封鎖し、食糧、水を断ち、いわゆる兵粮攻めを行ったのです。
48時間の封鎖で、エリオットをはじめとするイギリス商人達は音を上げて、結局沖合に隠してあったアヘンを全部差し出しましたが、その量は約2万箱、1425トン、林則徐の計算とほとんど同じでした。当時の金額で1500万ドル相当と云う莫大な金額です。
1400トンのアヘンは保管する倉庫もないくらいのものすごい量で、北京からは現地で処分する様命令が出ました。
しかも、周辺住民や外国人に処分するところを見せつけてやれという命令です。
林則徐は処分方法を徹底的に研究しました。
林則徐が素晴らしいと思う事は、事前に情報を集めて検討し、確実に仕事をこなして行くその確実さです。
素人考えですと、処分するなら燃やすなり埋めるなりすればいいと簡単に考えてしまいますが、相手がアヘンと云う麻薬であり、処理する時に有害物質が発生せず、処分した後の廃棄物を回収できず、回収しても麻薬成分が残っていない様にしなければ成りません。
焼却処分してみると、燃やしたあとの土から麻薬成分が回収できる事が判り、しかも燃焼させればアヘンの煙が大量に発生し、1400トンも燃やしたらどういう事になるか!
焼却処分は不可能、埋めても後に掘り出される可能性が在ります。
研究の結果、林則徐は海岸に50メートル四方の貯水槽を二つ設営し、この槽にアヘンを溶かし込んだうえに、塩と石灰を入れました。
石灰は水と反応して熱が発生します。
アヘンの麻薬成分は塩と石灰に弱いのでこの方法で処理を行いますが、溶け残っていたり、害になっていないアヘンが残っているかも知れません。
そこで、引き潮の時に貯水槽の水門を開けて、アヘンの溶けた熱水を海に流しました。
引き潮と一緒に水は沖合へ流れ出て、ここまでやれば、もう誰も回収できません。
大勢の群衆が見物するなか、20日間かけて全てのアヘンを処理しました。
続く・・・

アヘン処理貯水槽のジオラマ
◎林則徐のアヘン取締戦争
道光帝の期待を一身に担い、林則徐は北京から広州へ向かいました。
この旅の途中でも有名なエピソードが生まれます。
林則徐は、広州迄の街道沿いにある府や県の長官に事前に手紙を出し、欽差大臣林則徐は、何月何日にその地域を通過するが、決して接待をするなと云う手紙です。
宿泊、食事をする予定の地域の行政長官には、「同行人数は何名である、食事はこれだけのものを用意すれば十分である、それ以上の料理を決して出すな」、と書き送り、しかも、これは遠慮しているのではなく、命令であるから絶対守れと書き添えました。
当時の中国では、中央の大官が、地方に出向くときは接待を受けるのが当然、賄賂を受け取るのも当然でした。
地方の長官とすれば、皇帝お気に入りの大物官僚に気に入られたい、少なくとも悪印象を持たれて皇帝に告げ口をされては堪りません。
その為、全力で接待を行う事が普通ですが、これは地方長官にとっては大きな負担でした。
しかも、その負担は最終的に地方住民への税金に転嫁されます。
地方長官を長く務めた林則徐は、その様な風習を苦々しく思い、そこで、自分が逆の立場になったいま、あらかじめ接待を禁じる命令を出したのです。
欽差大臣としては、異例の簡素な旅行でした。
林則徐が賄賂を受け取らない清廉潔白な人物であると云う噂はすぐに広州にも伝わったのです。
広州でアヘン貿易を行なっているイギリス商人達は、アヘン取締の命を受けた大臣、林則徐がやって来ると云う話を知りました。
最初は全然気にする事も在りません。
なぜなら中国の役人は、誰でも賄賂を握らせれば形だけの取締をして、後はアヘン貿易を黙認する事が常でした。
従って林則徐も、賄賂でなんとかなるだろうと考えていたのでが、林則徐が接待を禁止しながら広州に向かっている情報が入ると、これは今までの役人とは違うかも知れないと考えはじめたようです。
イギリス商人よりも、最も彼の存在を恐れた面々が広州の役人達です。
彼らのほとんどが、イギリス人から賄賂を受け取っており、林則徐が着任したら、自分たちはどういう目に遭うのか、大変な騒ぎに成りました。
1839年、広州に着任した林則徐は、中国人アヘン商人と、その便宜を図っていた役人や軍人で特にその行いの悪い者を逮捕しましたが、その他大勢の役人、軍人については、今後は心を入れ替えよということで、過去の振る舞いは不問にしました。
厳しいばかりではない、この様な態度が、部下の気持ちを掴み、かえって綱紀粛正が進んだようです。
林則徐は早速イギリス商人に対して、アヘンを総て差し出す事と、今後アヘン貿易を行わないという誓約書を出す様に迫ります。
広州には300人近いイギリス商人が住んでおり、政府から派遣されている貿易監督官チャールズ・エリオットが彼等を指導していました。
エリオットは、取敢えず林則徐の権威を保つ為に少しだけアヘンを供出して、後は有耶無耶にしてやろうと考えたのです。
1037箱のアヘンを差し出して、これで全部ですと言う。
ところが、林則徐は事前にアヘンの消費量や取引量などを計算していて、2万箱近いアヘンが沖合の貯蔵船にあると踏んでいました。
イギリス商人達は広州城外の一角に作られた外国人居住区に住んでいたのですが、林則徐は軍隊でこの居住区を封鎖し、食糧、水を断ち、いわゆる兵粮攻めを行ったのです。
48時間の封鎖で、エリオットをはじめとするイギリス商人達は音を上げて、結局沖合に隠してあったアヘンを全部差し出しましたが、その量は約2万箱、1425トン、林則徐の計算とほとんど同じでした。当時の金額で1500万ドル相当と云う莫大な金額です。
1400トンのアヘンは保管する倉庫もないくらいのものすごい量で、北京からは現地で処分する様命令が出ました。
しかも、周辺住民や外国人に処分するところを見せつけてやれという命令です。
林則徐は処分方法を徹底的に研究しました。
林則徐が素晴らしいと思う事は、事前に情報を集めて検討し、確実に仕事をこなして行くその確実さです。
素人考えですと、処分するなら燃やすなり埋めるなりすればいいと簡単に考えてしまいますが、相手がアヘンと云う麻薬であり、処理する時に有害物質が発生せず、処分した後の廃棄物を回収できず、回収しても麻薬成分が残っていない様にしなければ成りません。
焼却処分してみると、燃やしたあとの土から麻薬成分が回収できる事が判り、しかも燃焼させればアヘンの煙が大量に発生し、1400トンも燃やしたらどういう事になるか!
焼却処分は不可能、埋めても後に掘り出される可能性が在ります。
研究の結果、林則徐は海岸に50メートル四方の貯水槽を二つ設営し、この槽にアヘンを溶かし込んだうえに、塩と石灰を入れました。
石灰は水と反応して熱が発生します。
アヘンの麻薬成分は塩と石灰に弱いのでこの方法で処理を行いますが、溶け残っていたり、害になっていないアヘンが残っているかも知れません。
そこで、引き潮の時に貯水槽の水門を開けて、アヘンの溶けた熱水を海に流しました。
引き潮と一緒に水は沖合へ流れ出て、ここまでやれば、もう誰も回収できません。
大勢の群衆が見物するなか、20日間かけて全てのアヘンを処理しました。
続く・・・
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