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2012/09/28

人類の軌跡その483:アヘン戦争以後の中国②

<太平天国その②>


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◎洪秀全②


 いくら優秀でも、簡単に受からないのが科挙です。
因みに、洪秀全の住んでいた地域の受験場所は広州でしたが、一回目の受験は当然失敗、二回目の挑戦が1834年、この時も、不合格でしたが、受験会場のそばでキリスト教のパンフレットを貰いました。
唯一の貿易港広州には、すでに中国人のキリスト教信者がいて、未来の官僚に布教活動をしていたのです。
このパンフ『勧世良言』という題名ですが、家に帰った洪秀全は、これを書棚に放り込んだままで読みませんでした。

 1837年、三回目の受験をしますが、これも失敗し、流石にこの不合格は堪えた様子で、そのあと、洪秀全は高熱を出して寝込んでしまいました。
高熱で苦しみながら、洪秀全は夢を見ました。
夢の中で竜や虎や牡鶏や多くの人に導かれて、光り輝く場所に着き、案内されるままに大きな宮殿のような建物の中に入っていくと、豪華な大広間が在り、高いところに金色の髭を生やした老人が座っていました。
その老人が洪秀全を見て涙を流しながら言います。
「世界中の人間はわしが作り、わしが養っているのに、人間たちは皆わしを忘れて悪霊を崇拝している。悪魔を絶滅し、兄弟姉妹を助けよ。」
そう言って、ひとふりの剣を洪秀全に授けました。
変な夢で、それ以外にも、夢の中で洪秀全が兄と呼ぶ中年の男がしばしば現れて、一緒に悪霊退治を行います。
洪秀全は夢の意味がわからないままに、やがて熱も下がり、夢も見なくなります。
彼は、再び受験勉強を始めたわけですが、夢のことはずっと覚えていました。

 1843年、四回目の受験です。アヘン戦争直後の広州での受験だから、いろいろなことを感じたと思います。
結果はまたもや不合格、落胆して家に帰った洪秀全は、かつて書棚に放り込んだままだった『勧世良言』を、ふと手にとって読み始めました。
結果、かつて見た不思議な夢が、今読んでいるキリスト教のパンフレットで解釈できるとかれは思ったのです。

 つまり、夢に出てきた老人は神、兄はイエス・キリスト、そして、自分は神の子で、イエスの弟だったのです。
人びとが信じている邪教は、儒教の事で、孔子廟とか、さまざまな偶像をつくって拝んでいます。
この偶像こそが老人が言っていた妖魔にちがいないと、この様に、キリスト教の教えを、どんどん自分に引きつけて解釈していきました。

 こうして、自分が神の子、イエスの弟、救世主と確信した洪秀全は、科挙の勉強を放棄し、宗教結社「拝上帝会」を興しました。
上帝とはヤハウェ神のことです。

 布教活動をはじめると、最初は幼なじみの受験仲間などが信者になり、1847年ころからは広西省の紫荊山区という山間の貧しい地域で、客家・貧民・少数民族中心に信者が増え始めました。
拝上帝会は、キリスト教の影響を強く受けているので、神の前の平等を説きます。
これが、アヘン戦争後急速に生活が悪化した人びと、その中でも差別に苦しむ人々の気持ちをつかんだのでした。

 また、拝上帝会は偶像崇拝を否定しましたが、中国は偶像崇拝の国です。
儒教でも、仏教でも、偶像をつくって拝むのは当たり前ですが、洪秀全たちは、それを悪だと教えるのですから、一般の中国人と馴染むはずが在りません。
拝上帝会は、実際に行動し、村の廟に祭られている孔子様の像や、関帝廟や様々な信仰の対象となっている像を壊します。
やがて、土地の有力者からにらまれ、政府の役人から迫害されるようになりました。
こうして、ついに洪秀全は地上に天国をうち立てるため挙兵を決意しました。

続く・・・

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