2012/10/01

人類の軌跡その485:アヘン戦争以後の中国④

<太平天国その④>

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『イラストレイテッド・ロンドンニュース』より太平天国軍南京占領(The Illustrated London News)

◎太平天国の政策

 太平天国は、如何なる政策を唱えていたのでしょう。

 第一に、清朝打倒。
「滅満興漢(満州人を滅ぼし漢人の国を興す)」が反乱のスローガンでした。
太平天国軍の男性は、清朝が漢民族に強制していた弁髪をやめて髪を伸ばしましたが、弁髪をやめる事自体が、清朝を否定する反逆行為だったのです。
その為、彼等の髪形を見ればその主張は誰にでも理解されました。
このため太平天国は「長髪賊の乱」とも呼ばれ、太平天国を満州族支配の清朝にたいする漢民族の民族運動と捉えることもできます。

 第二に、土地制度として「天朝田畝制度」を掲げました。
地主の大土地所有を否定して、土地を農民に均等に配分する政策でが、戦いに明け暮れた太平天国なので、実際に土地均分が実施されたかどうかはわかっていません。

 第三に、特徴的なのは、中国史上初めて男女平等を主張したことです。
中国は男尊女卑の国なので、これは画期的なことです。
更に男女平等に関連して、太平天国は纏足を禁止しました。

 纏足(てんそく)は10世紀の宋の時代からはじまった風習で、女の子が4,5歳になる頃から足を布で強く巻いてギブスのように固めて、足が大きくならないようにするのです。
成長期に固められている為、これを行われた女の子は、すごく痛がります。
しかし、小さい足が美人の基準である為、親はなだめすかして子供に我慢をさせたそうです。
成長とともに、足の先が内側に折れ曲がって畸形に成り、地面をしっかり踏みしめられないので、立ち上がると不安定で歩くとふらつきます。
極端に小さな足の女性は、何かにつかまって伝い歩きをしなければならい程だったのですが、よちよち歩く女性の姿と小さい足が、男性にとって魅力的だったのです。

 要するに、男が女性を愛玩物のように扱っていたということです。
この纏足を太平天国は禁止したのです。
洪秀全たち太平天国の指導者の多くは客家出身でしたが、実は客家には纏足の風習はありませんでした。
又、女の子に纏足をしてしまうと歩くことさえままならないのですから、労働力に成りません。
その為、貧しい農家などでは纏足をしていなかったといいます。
実際には、太平天国に参加していた女性には纏足の女性は少なかったかも知れませんが、太平天国は正式に纏足行わなくて良いのだ、と宣言したということでしょう。
太平天国軍では、女性も武器の運搬など、戦場で男と同様に活躍しました。

続く・・・
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