2012/10/02

人類の軌跡その486:アヘン戦争以後の中国⑤

<太平天国その⑤>

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◎太平天国の経過

 南京占領までは、破竹の勢いの太平天国軍でしたが、南京を首都にして以来、洪秀全は皇帝にあたる天王という地位につき、その他の幹部も北王、南王、東王、西王、翼王という王号をとなえ、それぞれが南京に豪華な宮殿を造り始めました。

 南京は、明の初期にも首都にもなった中国屈指の大都会です。
中国南方の辺境の、しかも貧しい客家出身の洪秀全達は、大都会の魅力にあてられ、膨大な富を手に入れ、反乱を始めた頃のせっぱ詰まった緊張感を失ってしまったようです。 
一部の軍隊を北伐軍として北京攻略に派遣しましたが、これは失敗に終わっています。
もし、南京に落ち着いたりせずに、太平軍全軍で北京に攻め込んでいれば本当に清朝を滅ぼすことができたかもしれませんが、その機会を逃してしまったのです。

 太平軍の幹部は自分の富を増やし、権力をより強くすることに力を注ぎ始め、互いに仲間割れが始まります。
最高指導者の洪秀全は、宮殿の奥深くに美女たちと篭もり、中々姿を皆の前に見せなくなります。
めったに顔を見せないことによって、自分を神秘化すると云う意味を持っていたのでしょう。

 諸王のなかでもっとも力を持っていたのが東王楊秀清(ようしゅうせい)で、天京(南京)を首都としての国家体制づくりの中心となっていました。
東王は戦争指導も上手く、なんといっても面白いのが、神が彼にとりついてお告げをするということです。
東王が自分でそう言っているだけなのですが、誰にも否定できないので、彼がお告げをはじめると、みんながその命令に従わなければならない。
天王洪秀全も神の命令には逆らえないので、東王楊秀清は、洪秀全と並ぶ高い権威をもって太平天国を指導しました。

 東王の勢力が次第に拡大する事に反感を持ったのが、北王だった韋昌輝(いしょうき)で、彼は自分の部隊を率いて東王の宮殿を襲撃し、東王を殺害してしまいました。
東王の一族やその部隊も皆殺しです。
こうして北王が権力を握ったのですが、次には北王が翼王石達開(せきたつかい)に暗殺されます。
これら一連の事件は1856年に発生し、この内紛で3万人以上が殺されています。

 やがて、翼王石達開はこのような権力闘争に嫌気がさして、自分の部隊を率いて四川省方面に移動し独自の行動をとるようになりました。
代わって、天京で洪秀全と太平天国政府を支えたのは、若い世代のリーダーで忠王という王号を持つ李秀成(りしゅうせい)等でした。
太平天国の末期は、ほとんど李秀成ひとりが支えている感じで、洪秀全は、宮殿に篭もり何もしなくなっていました。

続く・・・

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