2012/10/04

人類の軌跡その488:アヘン戦争以後の中国⑦

<アロー戦争・洋務運動その①>

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アロー号臨検

◎アロー戦争

 太平天国が中国南部を席捲している時、同時進行で、清朝とイギリス・フランスとの戦争が起こっていました。
この戦争をアロー戦争、または第二次アヘン戦争と呼びます。

 アヘン戦争後の南京条約で開港場を増やしたイギリスは、このあと綿工業製品の中国への輸出が増えることを期待していました。
本来、イギリスが一番売りたいのは、インド産のアヘンではなく、イギリスの工業製品なのです。
ところが、開港場が増えても、イギリスが期待した程に綿工業製品が売れません。
これは、中国産業の底力で、中国の綿工業製品は、機械制大工業のイギリス製品に対抗できるだけの価格と品質を備えていたのです。

 しかし、イギリスとしては、開港場をもっと増やせば、輸出は伸びると考え、開港場を増やすには、新しい条約を清朝政府と結ばなければなりません。
基本的には清朝は欧米諸国と貿易を好みませんから、開港場を増やす為にはアヘン戦争の責任をとらせる形で南京条約を結ばせたように、もうひとつ戦争を仕掛けて、清朝を負かして条約を結ぶのが一番確実です。
アヘン戦争後から、イギリスは、次に清朝に戦争を仕掛けるチャンスを狙っていました。

 その戦争の発端と成った事件が、1856年のアロー号事件です。

 事件が起きたのは、広州の港でした。
アロー号が広州港に入港したのですが、この船が、実は海賊船であるという情報が、治安当局に入りました。
そこで、広州の警察が、アロー号に乗り込んで調べてみると、本当に海賊船だったので、その乗組員12名を逮捕しました。
乗組員は全員中国人で、警察が海賊を捕まえるのはあたりまえのことですし、容疑者は中国人なので、何も問題はないはずですが、これにイギリスが異議を唱えます。

 その理由は、この船がイギリス船籍だった事と、清朝の警察が船に乗り込んだ際に、船のポールに掲げてあったイギリス国旗を引きずり降ろした、という事でした。
国旗を引きずり降ろした事が事実か否かは、はっきりしませんが、イギリス側は、イギリスに対する侮辱であると、抗議の狼煙を上げたのです。
もし、本当に国旗を降ろしたとしても、戦争の理由になるような大事件ではありません。
又、アロー号がイギリス船籍だとして、そこに中国の警察が乗り込んだ事を、主権侵害のように非難したのですが、実は、アロー号の船籍登録は期限切れになっていたのです。
車で言えば、車検切れ同様で、イギリス船籍ではなかったのです。

 しかし、イギリスは戦争の口実を模索していたので、この事件を盾にとって強引に清朝政府を責め立て、開戦に持ち込みました。

続く・・・

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