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2012/10/06

人類の軌跡その490:アヘン戦争以後の中国⑨

<アロー戦争・洋務運動その③>

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ニコライ・ニコラエヴィチ・ムラヴィヨフ=アムールスキー伯爵

◎ロシアの東方進出

 イギリス、フランスが南方から中国を侵略した様に、北からはロシアが中国清朝に対して領土的な野心をもって接近していました。
19世紀半ば、ロシアの初代東シベリア総督となったムラヴィヨフは、衰退した清朝からの領土割譲を図り、アムール川(黒竜江)を調査、占領し、1858年、清朝と愛琿(アイグン)条約を結び、アムール川以北の土地を獲得しました。
同時に沿海州(アムール川の支流ウスリー川以東)を清朝との共同管理地としました。
アロー戦争の天津条約を結んだのと同じ年です。

 又、アロー戦争終結の1860年には露清北京条約を結び、沿海州を獲得しました。
この沿海州の南端にロシアが開いた軍港がウラジヴォストークです。
この名前は「東方を支配せよ!」という意味で、ロシアは東方に不凍港を獲得することに成功しました。

 この後1875年、ロシアは日本と結んだ千島・樺太交換条約で、樺太を獲得しています。
ロシアは、東部だけでなく、中央アジアでも清朝の領土を狙います。
1860年代に新彊地域(中央アジア)でイスラーム教徒の反乱が起きると、混乱に乗じてイリ地方を占領し、この後、1881年、イリ条約でイリ地方は清朝に返還されました。
その代償として清朝は、新彊地域の一部、賠償金、貿易特権をロシアに与えたのです。

 ロシアは、1868年には中央アジアのブハラ=ハン国を、1873年にはヒヴァ=ハン国を保護国化していますが、両国は、それまで清朝の朝貢国でした。

◎洋務運動

 太平天国の乱が終息した後、清朝内部で改革が始まり、中心となったのは、郷勇(義勇軍)を組織し、太平天国鎮圧に活躍した官僚達です。
彼等は、その活躍によって、政権内で大きな発言力を持つようになりました。
具体的には、曾国藩、李鴻章、左宗棠(さそうとう)、張之洞(ちょうしどう)といった人々で、太平天国で自分の地元の人々を組織して戦ったわけですから、当然皆漢人です。
清朝は、満州人の政権ですから、基本的には漢人官僚を警戒するのですが、もはやその様なことを意識している場合ではなくなってきたのです。

 彼等は、共通して、地方長官となり、西洋の科学技術の導入を図りました。
太平天国との戦いを通じて、軍事技術を筆頭に中国の科学技術が西洋に比べて大きく遅れをとっていることを強く自覚し、この西洋の科学技術導入運動を洋務運動と言い、洋務運動を推進した官僚を洋務官僚と呼びます。
地方長官は、大きな裁量権を持っているので、彼等はそれぞれに鉱山開発や工場建設、鉄道敷設などを行っていきました。

 洋務運動は、中国の文化が世界の最高峰であるという中華意識を捨てて、他の文明を取り入れようとしたという点では、画期的ではあったのですが、清朝を強化するという点では、効果は限定的でした。

 その理由の第一として、中華意識の捨て方が中途半端で在り、洋務官僚の考え方は「中体西用(ちゅうたいせいよう)」でした。
中は中国、西は西洋、中国の文明が本体であり正しいものであって、西洋の文明の便利なところだけを使う事を意味しています。
科学技術は進んでいるから、そこだけは取り入れる、しかし、文明そのものは中国の方が優れているのだから、科学技術以外の西洋文明に見習う点は無いということです。

 しかし、西洋の科学技術は、西洋文明の中から生まれたもので、すぐれた技術は、資本主義経済の競争の中で、常に改良を加えられ発展してきたものです。
又、西欧列強が戦争に強いのは、ただ単に武器が優れているからではなく、国民国家が形成され、兵士ひとりひとりが政府の為に戦う意味を自覚しているからです。
法の下に個人の権利が保障されており、国民全員ではないにしろ、国民の意思を繁栄した議会のもとで政治が運営されています。

 洋務官僚達は、この様な文明全体を考察する事は無く、西欧の政治制度や社会制度については無関心で、清朝に議会を作る、資本家を育成する発想は全く存在しませんでした。

 更に、洋務官僚達は自分の管轄地で、工場建設等を行いましたが、これらの企業は国有ではなく、地方長官の私物というべきものになっていきます。
清朝全体の強化ではなく、洋務官僚個人の権力強化の傾向が強いものでした。

 洋務運動では、軍事工場の建設や西洋式軍隊の育成に重点が置かれたので、西洋式の軍隊を育成した官僚は、そのまま軍閥化し、特に李鴻章は北洋軍を組織し、政治的に強大な力を持ちました。
後の話ですが、李鴻章の部下で、北洋軍を継承した袁世凱(えんせいがい)は、その軍事力を背景に清朝を倒すことになります。

アロー戦争・洋務運動・終わり・・・

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