2012/10/10

人類の軌跡その492:幕末②

<日本の開国その②>

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◎ペリーの来航と明治維新

 ペリーは、半年以上の時間をかけて、日本へ開国を要求しに赴くのですから、鎖国を理由に断られて、簡単に引き下がる気持ちはなど持ち合わせていません。
この交渉を成功させる為に、事前に日本について研究し、オランダ人の著作等、日本に関する研究書を40冊以上読破したのです。
長崎に行って開国を要求しても、江戸から回答が来る迄、長時間待たされたあげくに鎖国の国是を理由に拒否される先例も十分に理解していました。

 研究の結果、ペリーが得た結論は以下の通りです。
「日本人は礼儀正しいが、権威に弱く脅しに屈し易い。」
江戸から遠く離れた長崎ではなく、江戸湾の入り口にあたる浦賀に現れ、当に砲艦外交を展開しました。

 オランダからの情報で、ペリーが日本を訪れる事は知ってはいましたが、実際に浦賀沖に現れたアメリカ船を見て、幕府の役人は驚きました。
役人だけでなく、日本中が驚きました。

 まず、現れた船は1隻では無く、4隻の艦隊で来朝しています。
しかもそのうちの2隻、ペリー座乗の旗艦サスケハナ号とミシシッピ号は、世界でもまだ珍しい蒸気船です。
西欧人にとっても珍しい蒸気船で、その大きさも、世界最大級でした。
世界最新鋭の軍艦が目の前に現れたわけです。

 しかも、この2隻は、木造船ですが船体に鉄の装甲が取り付けられ、日本人には鉄の船が浮かんでいるように見えたのでしょう。
他の2隻も防腐の為、黒く塗装されており、日本人は黒船と呼んび、黒い煙を吐き出している姿は、脅威、恐怖の何物でも在りません。

 当時の蒸気船は、スクリューが実用化される前なので、船の両脇に水車状の推進器を持つ、外輪船で、蒸気の力だけには頼れず、帆走併用型でした。

 「日本人は脅しに屈し易い」と読んだペリーの作戦は的中し、黒船の威力に押されて、浦賀に上陸したペリーから開国を要求するアメリカ大統領の親書を受け取った幕府は、とりあえず時間稼ぎに翌年の回答を約束しました。
ペリーは日本を去りますが、アメリカ本国へは帰らずに上海で半年間待機した後、1854年1月浦賀に再び姿を現しました。
この時には、後続艦隊を加えて7隻の艦隊に成っていたのです。

 幕府は、ついに開国に踏み切りました。
横浜に上陸したペリーと日米和親条約を締結、下田、函館の二港の開港と、領事の駐在、アメリカに対する最恵国待遇の付与などがその内容です。

 当時の上海には、列強各国の艦隊が寄港しており、ここでペリーが日本を開国させた情報は西欧列強に直ぐに知れ渡りました。
同じ年には、イギリス艦隊やロシア軍艦も長崎に来航し、もはや鎖国を理由に条約締結を拒否することが出来ない幕府は、同様の条約をイギリス、ロシア、オランダと結んでいきました。

続く・・・

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