2012/10/31

人類の軌跡その505:第一次世界大戦②

<第一次世界大戦のはじまり②>

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フォッカーDr.I

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マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(Manfred Albrecht Freiherr von Richthofen, 1892年5月2日 - 1918年4月21日)

◎戦争の始まり

 ロシアがセルビアを支援する為に7月30日総動員を開始すると、8月1日、ドイツがロシアに宣戦布告して第一次大戦が勃発、ドイツは3日に、フランスに宣戦布告、ドイツ軍が中立国ベルギーに侵入すると、4日にはイギリスがドイツに宣戦しました。

 もともとドイツと共通の利害は存在せず、オーストリアとは未解決の国境問題を持ち合わせていたイタリアは、戦争が始まると中立を宣言し、翌年、連合国側で参戦しました。
そのため同盟国はドイツ、オーストリア、オスマン帝国、ブルガリアの四国となりましたが、オーストリア軍は弱体でヨーロッパ戦線はドイツ一国で支えている状態でした。

 連合国側には主力の英仏露以外にセルビア、モンテネグロ、日本、後にアメリカ合衆国等最終的に27カ国が参戦し、日英同盟を理由に参戦した日本は、中国山東省と南太平洋のドイツ軍基地を攻略します。
開戦時の兵力は、ドイツ軍400万人、オーストリア軍250万人、フランス軍360万人、ロシア軍500万人、イギリス軍35万人でした。

◎第2インターナショナル

 反戦を訴えていた第2インターナショナルですが、大戦が勃発するとその主張を貫くことが出来ず解体、国境を越えた労働者の団結よりも、各党が所属する国家の「防衛」を優先したのです。
強硬に反戦を唱えたフランス社会党の指導者ジョレスは、7月31に暗殺され、第2インターナショナルを支えていたヨーロッパ最大の社会主義政党ドイツ社会民主党は8月3日に「我々は危機に際し祖国を見捨てないであろう」と宣言したのです。

◎長期化と総力戦

 大戦は予想を超えた長期戦となり、膨大な人命と物資を消耗する総力戦となりました。
従来の戦争とは異なり、銃後の国民も負担を強いられ、植民地からも兵力は動員されました。

 二正面作戦を強いられるドイツは、最初にフランスに兵力を集中し、短期決戦でフランス軍を殲滅したのち反転し、東部戦線でロシアと戦う作戦でした。
防備の薄いベルギー国境からフランスに侵入したドイツ軍は、パリ近くまで進撃しますが、9月になると体勢を立て直した英仏連合軍にマルヌの戦いで敗れ、西部戦線は膠着し持久戦となりました。
互いに相手を包囲する為、前線はフランドル海岸からスイス国境まで延び、両軍は塹壕を掘って対峙しました。
塹壕の総延長は両軍あわせて約4万キロに及び、1914年末迄で、ドイツ軍68万人、フランス軍85万人の死傷者を出すという大規模な戦争になりました。

 東部戦線では、1914年8月タンネンベルクの戦いでドイツ軍がロシア軍に大勝しましたが、その後は持久戦と成り、バルカン半島では同盟国側が優勢でセルビア、モンテネグロ、北アルバニアを占領しましたが、大勢に影響を与えるものではありませんでした。
1916年5月、英独両海軍はユトランド沖海戦でも勝敗はつかず、その後イギリスは海上封鎖によってドイツを包囲します。

◎莫大な戦死者数と新兵器開発

 1916年のドイツ軍の総攻撃、ヴェルダンの戦い(2月末~年末)では、ドイツ軍33万7000人、フランス軍37万7000人の死傷者を出すものの前線を突破できず、同年の英仏軍の総攻撃、ソンムの戦い(7月~11月)では、連合軍250万とドイツ軍150万が戦い、死傷者は連合軍90万、ドイツ軍60万を数えました。

 この戦いでも莫大な犠牲を出しながら相手の陣地を抜く事は出来ませんでした。
戦況を打開の為、ドイツ軍による毒ガス使用、イギリス軍の戦車開発、飛行機による爆撃など新たな兵器や戦術が開発されましたが、膠着状態は続いたのです。

続く・・・
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コメント

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No title

こんばんは。
とうとう11月、今年も残すところ
あと2ヶ月となりましたね。寒さも
一段と厳しくなってきました。風邪には充分ご注意下さいね。

No title

こんにちは。
2日のご挨拶です♪
11月に入りこの時期特有の季節風が北西より吹き始めましたね。これからは、気温も下がる一方ですね。
紅葉も加速するのではないでしょうか。良い週末をお過ごし下さいね。