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2012/11/02

人類の軌跡その506:第一次世界大戦③

<第一次世界大戦のはじまり③>

italians on the isonzo
塹壕戦

◎第一次大戦の特徴である総力戦

 第一次大戦は、交戦国が自国の工業力、技術力、労働力等国力の総てを戦争遂行に動員する総力戦となりました。
例えば、砲弾の消費量は各国首脳陣の予想を上回る膨大なもので、1914年9月のマルヌの戦いで独仏両軍は日露戦争の全消費量にあたる弾薬を消費、ヴェルダンの戦いでは両軍で2000万発以上、136万トンの砲弾を消費しています。
フランスは開戦1ヶ月で、ドイツは2ヶ月で備蓄砲弾の50%を使い果たし砲弾不足に陥り、参戦各国はこの様な事態に対応して、武器弾薬の増産体制を敷かなければなりませんでした。
又、前線で戦う何十万という兵士に物資を供給する為には道路や鉄道、水道の建設も必要で、ヴェルダンの戦いでフランス軍は道路を新設し4000台の自動車をフル回転させ前線に物資を供給したのです。 
総力戦においては、何らかの形で全産業、全国民が戦争遂行に協力する必要がありました。

◎国民生活の変化

 戦争は国民の生活も変えました。
男性の出征による労働力不足で女性が職場進出し、イギリス首相ロイド=ジョージは全女性に対して軍需工場で働く事を要請し、弾薬工場では労働者の60%を女性が占め、フランスでも軍需産業労働者の4割が女性でした。 
ドイツでは、イギリスの海上封鎖により物資の輸入が困難となり、食糧、綿花、銅、ニッケル、石油、ゴムなどが不足、戦時統制経済によって軍需生産を維持しましたが、食糧不足の為、1915年1月からパンの切符制が導入され、1916年末に労働力確保のため、政府が全成人男性に必要な労働を命じ転職を禁じる「愛国的労働奉仕法」が制定される等、国民生活への統制が強まりました。
ロシア、オーストリアでも国民生活は急激に悪化していったのです。

◎インド兵

 志願制のイギリス軍は、兵力不足を補う為、1916年から徴兵制を導入しただけでなく、植民地からも兵士を動員し、インド兵144万人を筆頭にカナダ兵82万、オーストラリア兵41万等がヨーロッパ戦線で銃を握り、中国人10万が物資輸送人夫として動員され、フランスもアルジェリア等海外領土から兵士を動員します。

◎トルコに対するアラブの反乱

 イギリスは、行き詰まっていた対トルコ戦を打開する為、メッカ太守であり、アラブの名門ハーシム家のフサインにオスマン帝国への反乱を要請し、1915年フサイン・マクマホン協定で大戦後のアラブ人国家樹立を約束しました。
翌年フサインの息子ファイサル率いるアラブ人部隊はヒジャーズ地方(アラビア半島西部)を制圧しました。
有名な「アラビアのローレンス」はイギリス軍から派遣された連絡将校です。
イングリッシュ美術・-アラビアのロレンス
アラビアのローレンス

 ところが、イギリスは1916年にフランスとサイクス・ピコ協定を結び、両国による戦後のアラブ地方分割を密約し、更に1917年には英米のユダヤ人財閥の支援を得る為、バルフォア宣言を発表し、アラブの一地域であるパレスティナ地方でのユダヤ人国家建設を約束しました。
アラブ人やユダヤ人を利用するために出されたイギリスの相矛盾する宣言は、ほぼ1世紀を経た現在に続く、パレスティナ問題の元凶と成ったのです。

続く・・・

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