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2012/11/03

人類の軌跡その507:第一次世界大戦④

<同盟国の降伏とヴェルサイユ体制>

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ルシタニア(RMS Lusitania)

 1917年にはアメリカの参戦、ロシア戦線離脱で戦局が大きく変化し、18年にはドイツで革命が起こり戦争は終結、「14カ条の平和原則」をもとに講和会議が開かれました。

◎アメリカの参戦

 第一次大戦当初、中立を宣言したアメリカ合衆国ですが、1915年5月ニューヨークを出航したイギリスの客船ルシタニア号がドイツの潜水艦に無警告撃沈され、アメリカ人乗客128人が死亡してからは、対独参戦論が高まっていました。
1917年2月ドイツがイギリスの海上封鎖に対抗して、中立国の船も撃沈する無制限潜水艦作戦を開始すると、4月に合衆国は連合国側に立って参戦し、最大の工業国アメリカ合衆国の登場は、戦力の均衡を破りました。

◎革命によるロシアの戦線撤退

 総力戦に耐えきれなかったロシアでは、1917年、十一月革命でソヴィエト政権が成立し、全交戦国に即時講和を呼びかけ、1918年3月にブレスト・リトフスク条約でドイツと単独講和を締結、この結果、東部戦線は消滅しドイツの負担は軽減され、戦力を西部戦線に集中する事が可能となりました。

 ロシア革命は、各国の反戦運動を刺激し、1917年にはドイツで戦争終結を訴える独立社会民主党が結成され、議会でも講和を求める決議が可決され、18年1月には軍需労働者100万人の反戦ストライキが発生します。

 しかし、軍部は独裁体制を強め、東部戦線の兵力を西部戦線に回送し、1918年3月から大攻勢を開始しましたが、7月以降アメリカ軍100万が加わった連合国が逆襲に転じ、ドイツ軍は占領地を放棄し退却を開始します。
9月にブルガリアが、10月にはオスマン帝国が降伏し、11月にはオーストリアも臨時政府が成立して降伏、同盟国は崩壊、ドイツでは、11月、無謀な出撃命令を拒否してキール軍港の水兵が反乱を起こすと、各地に反乱が広がり、全国で労働者と兵士によるレーテ(評議会、ロシアのソヴィエトにあたる)が組織されました。
ベルリンでゼネストと労働者の武装デモが起きる中、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はオランダに亡命し(ドイツ革命)、社会民主党を中心とする臨時政府が休戦条約に調印し、第一次大戦はここに終結したのです。

 連合国同盟国あわせて約6500万人が兵士として動員され、戦死・戦病死者約802万人、戦傷者数約2123万人、非戦闘員死者数約664万人を出した未曽有の戦争でした。

続く・・・
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コメント

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No title

こんばんは。
4日のご挨拶です♪
お天気下り坂ですね。こちらは、夕方より降り始めました。何とか日中は、もってくれたので良かったです^^
明日も雨のようですが、また冷え込みが厳しくなりそうですね。
今週も宜しくお願いします。

こんばんは

客船を撃沈しては、国際的に孤立化しても仕方がありません。
なぜそのような愚かなまねをしたのでしょう。