2012/11/13

人類の軌跡その511:第一次世界大戦後のヨーロッパ・アメリカ③

<第一次世界大戦の終焉③>

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◎大戦後のイタリアの政情とファシストの暴力

 大戦後、思惑どおりに領土を獲得できなかったイタリアでは、右翼的民族主義運動が盛り上がると同時に、インフレや失業の増大の中で革命運動や労働運動、貧農雇農による土地分配運動が活発化します。
社会党とカトリック系の人民党に挟まれて、自由主義勢力による政府は指導力を発揮できず不安定な政局が続いていました。

 1919年国粋主義者で詩人のダヌンツィオは義勇軍を率いて、パリ講和会議で獲得できなかった港市フィウメを占領し、大戦中に社会主義から国家主義に転身した新聞記者ムッソリーニは、「戦闘ファッシ」を結成しファシスト運動を開始します。

 一方で、社会主義革命をめざす社会党は1919年の総選挙で、議席の3分の1を占め第一党となり、1920年夏には北イタリアで50万人の労働者が工場を占拠し自主管理を行い、革命前夜の様相を呈しましたが、政府の調停によって労働争議が終息すると、社会党の分裂も発生し、社会主義運動は徐々に下火になっていきます。

 20年秋からファシストによるテロが横行しはじめ、黒シャツ隊と呼ばれたテロ部隊は、社会党が政権を握る地方自治体に拳銃や棍棒を持ってトラックで乗り付け、暴力で町を制圧し、労働組合や農民組合の事務所や指導者を襲い、最後に市長に辞職を迫りました。
抵抗した場合は家族を誘拐し、更には本人を殺害する事態に発展する事も発生し、この様な剥き出しの暴力で地方の支配権を握る「懲罰遠征」は参加者を増やしながら活動範囲を広げていきました。
地主や資本家はこの運動を支援し、警察もファシストの暴力行為を黙認していたのです。

◎ムッソリーニによる独裁政治の樹立

 1921年の総選挙では35名の当選者を出し、ムッソリーニは「戦闘ファッシ」を「ファシスト党」に改組し自ら統領の地位につきました。
この間も地方でテロ活動を続け、1922年10月には「ローマ進軍」を行い、2万6千の武装したファシスト党員がローマに向かって進軍すると、内乱を恐れた国王は、戒厳令を求めて容れられず辞職したファクタ首相にかわってムッソリーニを首相に任命し、ファシズム政権が誕生しました。

 35議席しかないファシスト党は、1924年の総選挙で、対立候補に対して暴行、脅迫、殺害など徹底的な選挙妨害をおこない535議席中375議席を獲得し、議会でファシストの選挙妨害を非難した国会議員は暗殺され、1926年にはファシスト党以外の政党は禁止となり、一党独裁体制を樹立、1928年にはファシスト党の機関であるファシスト大評議会を国家の最高機関として独裁体制を完成させました。

 権力掌握の過程でムッソリーニは資本家層と接近してその支持を取り付け、また1924年にフィウメを併合、27年にはアルバニアを保護国化して領土拡大を望む大衆も満足させる事に成功します。
イタリアのファシズム政権の誕生は当時の国際社会で、大きな問題にはなりませんでしたが、ムッソリーニの政治手法はドイツのヒトラーに大きな影響を与えたのでした。

続く・・・

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