2012/11/24

人類の軌跡その521:ナチスの台頭①

<ドイツに誕生したナチス政権>

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1927年ニュルンベルク・ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)大会

 ドイツでは世界恐慌の後、国民の不満を組織化したヒトラーのナチスが政権を掌握し、一党独裁政治によって、反ヴェルサイユ体制、反ユダヤ主義を実行していきました。

◎ドイツ経済と世界恐慌

 世界恐慌で特に深刻な影響を受けたのはドイツでした。
恐慌によってアメリカ資本が引き上げられるとドイツ経済は危機に陥り、1931年、合衆国のフーヴァー大統領による、一年間の賠償金支払い猶予(フィーヴァー=モラトリアム)も効果はなく、失業者は1930年には340万人、32年には600万人を超え、当時の政府基盤は脆弱で、社会民主党など既成政党が有効な政策を打ち出せない一方で、ナチスとドイツ共産党が急速に勢力を拡大してきました。

◎ナチスの宣伝活動

 ヒトラーが率いるナチスは、正式名称を国民社会主義ドイツ労働者党と云い、ナチスとは反対派による蔑称が一般化したものです。
ヒトラーは1923年のミュンヘン一揆の失敗後、議会を通じて権力獲得をめざす合法戦術に方針を転換し、ヴェルサイユ条約の破棄、大ドイツ国家の建設、ユダヤ人の排斥、不労所得の廃止などを訴え、特に過激な反ヴェルサイユ体制と反ユダヤ主義で注目を集めていました。

 ナチスは効果的な宣伝で支持者をひろげましたが、ヒトラーの演説は意図的なデマと誇張を利用して大衆の感性に訴えるものでした。
ヒトラー自身が次のように書いています。「大衆の心情は単純で幼稚である。小さな嘘より大きな嘘に引っかかる。」「大衆の理解力は小さく、忘却力は大きい。効果的な宣伝はスローガンのかたちでくりかえせ。」と。

 又、ナチスの軍事組織である突撃隊は反対派に公然と暴力をふるいましたが、失業にあえぐ民衆のなかには、それをある種の力強さと感じる人々が存在したのも事実でした。

◎ナチス政権の誕生

 国会でのナチスの議席数は、1928年の選挙では12議席でしたが、世界恐慌後の30年には107議席と躍進し、1932年7月の国会選挙では230議席を獲得して第一党になり、ヒトラーはヒンデンブルク大統領に首相の地位を要求しました。

 ヒンデンブルクが代表する財界、軍部、ユンカー(地主層)など伝統的保守勢力は、新興勢力であるナチスとは一線を画していましたが、共産党が議席数を着実に伸ばしている(28年54議席、32年12月100議席)ことに危機感を抱き、ヒトラーと手を結びます。
1933年1月、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に任命し、ナチス政権が誕生しました。
そのときヒンデンブルクは、「ヒトラーのごとき人物を首相に任命する不愉快な義務を負うはめになった」と側近にもらしたと云います。

続く・・・

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