2012/11/26

人類の軌跡その522:ナチスの台頭②

<ドイツに誕生したナチス政権②>

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◎独裁政治

 政権を獲得したヒトラーは独裁政権を樹立する為、すぐさま議会を解散し総選挙を実施し、選挙期間中の2月に国会議事堂放火事件が発生すると、ナチスは共産党の犯行を示唆する一方的なプロパガンダを展開し、約4000人の共産党役員を逮捕して激しい弾圧をおこないました。
それ以外にも、ナチスのテロ行為で50人以上が殺害され、この様な選挙妨害にも関わらず、ナチスの議席は総議席647の内、288で過半数に届きませんでした。

 しかし、ナチスは次の国会で、反対議員に対する恫喝と欠席議員を出席と見なす奇策によって、ヒトラーに無制限の立法権を付与する全権委任法を成立させ、又7月にはナチス以外の政党組織を禁止し一党独裁を確立したのです。

 1934年8月にヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは大統領と首相を兼ねる「総統」に就任しました。
これ以降のナチス支配下のドイツを第三帝国と呼ぶ事があります(神聖ローマ帝国、ドイツ帝国に続く帝国という意味)。

◎失業

 ナチス政権は失業者を減らす事に成功し国民の支持を集めました。
自動車専用道(アウトバーン)建設等の公共事業や軍需生産の拡大によって雇用を拡大した事、又世界恐慌の底辺から景気上昇期と重なり、1933年1月に600万を超えていた失業者数が、35年1月には300万を切り、37年秋には50万以下となりました。

 又、労働者のレクリエーション組織「歓喜力行団」によって労働者に旅行や観劇等のサービスを提供する、先進的な取り組みも行われたのです。

◎秘密国家警察と強制収容所

 一方で、言論思想統制は厳しく、市民生活は秘密国家警察(ゲシュタポ)によって監視されていました。
ゲシュタポは「保護拘禁」の名目で誰でも逮捕して収容所に送り込む権限を持ち、最初の強制収容所は、早くも1933年3月にミュンヘン郊外に建設されました。

 収容所には政治的反対派だけでなく、障害者やロマ、ユダヤ人等の少数者も収容され、ドイツ民族の優秀さと純血を誇示するナチスは、「不純」な分子を排除しようとしたのです。

※ナチスによるユダヤ人迫害

 ヒトラーはユダヤ人を劣等民族として徹底的に差別し、失業や不況の原因をユダヤ人に押しつけ、国民の差別意識を煽動しました。
ユダヤ系の作家、学者、文化人は公職を追われ、トーマス・マンやアインシュタイン等の著名人物も国外に亡命しました。

 35年のニュルンベルク諸法では、ユダヤ人を法律で定義し、ユダヤ人とドイツ人の通婚を禁じ、国籍を剥奪したうえ職場からも排除しました。
38年11月には、ドイツ全土で政府の煽動によるユダヤ教会やユダヤ人商店に対する襲撃、破壊事件が発生し、7000軒の商店が壊され、2万6千人のユダヤ人男性が逮捕されたうえ、政府は被害を受けたユダヤ人に総額10億マルクの罰金を課し、全ユダヤ商店の閉鎖を命じました。
割られた窓ガラスの破片から「水晶の夜」と名付けられた事件です。

 第二次大戦が始まると迫害はエスカレートし、「ユダヤ人問題の最終的解決」として組織的大量虐殺が行われ、500万から600万人の罪のないユダヤ人が殺害されたのです。

続く
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