<ヴェルサイユ体制の崩壊>
ナチス・ドイツはヴェルサイユ条約を無視し再軍備を開始しましたが、英仏はこれを阻止せず、スペイン内乱ではドイツ・イタリアの援助をうけたファシズム勢力が勝利おさめます。
◎ドイツ の再軍備 ヒトラーは政権を獲得した1933年に、軍備平等権を主張して、これが容れられない事を理由に国際連盟を脱退しました。
1935年1月、国際連盟管理下のザール地方が、住民投票でドイツに併合され、同年3月、ドイツは再軍備宣言をおこない、徴兵制の復活、10万に制限されていた常備軍を50万に増強する事、空軍が存在することを表明し、公然とヴェルサイユ条約を無視したのです。
◎ドイツの行為を阻止できなかったイギリス・フランス これに警戒感を抱いたフランスとソ連は35年5月に、ドイツを仮想的として仏ソ相互援助条約を締結しました。
反対に、イギリスはドイツの要求を認める事が国際社会の安定につながると考え、同年、英独海軍協定を締結、ヴェルサイユ条約でドイツの潜水艦保有が禁じられていたにもかかわらず、この協定で、イギリスはドイツの潜水艦保有を認めました。
この様なイギリスの対応は、ドイツを増長させただけでなく、イタリアがエチオピア侵略に踏み切るきっかけとなりました。
1936年3月、ドイツ軍はライン川の右岸50キロから独仏国境まで設けられていたラインラント非武装地帯に進駐、英仏はドイツを非難し、国際連盟はドイツ問責決議案を採択しましたが、具体的な行動でドイツの行為を阻止せず、実態としては黙認でしか在りませんでした。
◎ファシズム諸国 1935年10月のエチオピア侵略によって、国際社会で孤立したイタリアはドイツに接近、36年10月、両国は友好関係を深めベルリン=ローマ枢軸が形成されました。
枢軸とは、ヨーロッパ諸国の中心機軸という意味でムッソリーニが使った言葉です。
11月にはソ連を仮想的として日独防共協定が締結され、既に日本は中国東北地方に満州国を建国しており、翌37年にはイタリアも加わり日独伊三国防共協定が成立、全体主義国家三国の枢軸が形成され、この年イタリアは国際連盟を脱退します。
◎反ファシズム人民戦線 1930年代半ばにはファシスタ党やナチスに刺激され、ヨーロッパ各国でファシズム勢力が登場し、フランスでは1934年右翼勢力による議会攻撃の争乱事件が起きると、それまで敵対していた共産党と社会党、急進社会党が人民戦線を結成し反ファシズムで統一行動をとるようになりました。
又、コミンテルンは35年、モスクワに65カ国の代表を集めて第七回大会を開き、平和と民主主義の擁護が各国共産主義運動の課題であるとして、ブルジョワ自由主義者も含めた反ファシズム統一戦線の結成を呼びかけ、翌36年には、6月フランスの総選挙で人民戦線が過半数を獲得し社会党のブルムを首班とする人民戦線内閣が成立します。
続く・・・
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