2012/11/29

人類の軌跡その525:ヴェルサイユ体制の崩壊③

<スペイン内戦(1936-1939)細目編>

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ハインケル He51 コンドル軍団所属

 1936年2月の総選挙で、親ソ派の人民戦線政府が成立したものの、人民戦線内部に於いて、社会党、共産党、アナーキストの権力闘争が激化、社会混乱が続く中、軍を代表する右派の人民戦線政府への不満が募り、ついに、1936年7月18日、スペイン領モロッコのメリリャ駐屯軍の反乱を発端として、スペイン各地で軍が蜂起しました。
是が所謂「スペイン内戦」の始まりであり、軍と政府が国土を二分して戦う事と成りました。

◎初期(1936年)

 反乱軍の実権は、参謀総長を歴任し、当時カナリア諸島軍司令官フランシス・フランコ将軍が掌握し、9月29日、サラマンカで開催された最高評議会で国軍最高司令官に任命され、10月1日には、プルゴスの教会で行われた集会に於いて国家主席に就任し、反人民戦線側の最高指導者と成りました。

 しかし、反乱軍の主力であるモロッコ駐留軍は、海空軍が政府側の為、スペイン本土へ進撃する事が不可能で、フランコはドイツ・イタリアに支援を要請しました。
こうしてドイツ・イタリアによる反乱軍支援が開始され、ドイツのユンカースJu52/3m輸送機によって本土に空輸された反乱軍は、北部の反乱軍と呼応してマドリードを南北から挟撃し攻略する作戦を展開しますが、1936年末には頓挫し戦線は膠着状態と成ります。

◎中期(1937年)

 膠着状態と成った両陣営は諸外国に支援を要請。
政府軍側には、ソ連から軍事顧問団、兵員と共に戦闘機、戦車・火砲などが送られ、更に世界各国からの義勇兵で編成された国際旅団が加わりました。
反乱軍側には、ドイツからコンドル軍団(空軍義勇兵部隊)と戦車部隊、イタリアからも空軍部隊と陸軍部隊(正規部隊)が派遣されます。

 マドリード攻略に固執するフランコは、イタリア軍4個師団でグアダラハラ方面から攻撃を実施するも、大損害を被り敗退。
其処で、北部地方への攻勢に作戦を変更した反乱軍は、コンドル軍団の本格的航空支援の下に大規模な攻勢を開始します。
1937年10月にはバスク地方を含む北部全域を制圧しますが、この時のゲルニカ空襲は世界に衝撃を与えました。

◎末期(1938~39年)

 南部地域での政府軍の攻勢を撃退した反乱軍は、一気に地中海方向へ攻勢に転じ、カタルーニャ地方とヴァレンシア地方の分断に成功。
しかし、政府軍はエブロ川で反撃に転じ両軍激戦と成り、双方で2万名以上の戦死者を出します。
この頃、ミュンヘン会談を巡るヨーロッパの政治情勢の変化と、ソ連国内での大粛正の影響によって、ソ連の義勇軍の引き上げと国際旅団の解散が在り、政府側はエブロ川攻撃の失敗も重なりますます不利と成っていきました。

 1939年1月には反乱軍は、カタルーニャ地方攻略の為の大規模な攻勢を開始し、政府軍を次々に撃破して行きました。
バルセロナは間も無く陥落し、2月にはフランス国境に到達してカタルーニャ地方を完全に制圧し、政府側は、之によって戦意を喪失し、ついに3月末、フランコはマドリードに入城し、4月1日には内乱終結宣言を行いました。

続く・・・
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コメント

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こんばんは。
いよいよ11月も終わり明日から師走に突入ですね。奈津子さんの仕事は
年末にかけて忙しくなると思いますが、ご自愛下さいね。