2012/12/06

人類の軌跡その531:ヴェルサイユ体制の崩壊⑨

<ソビエト連邦④>

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◎経 済

 1918年の10月革命以降の内戦期に於いて、ソビエト政権は、戦時共産主義(1918-1920)に基ずく、一連の諸政策を実行しました。
内容は、ロシア革命後に地主を解体して土地を没収し、国有地として農民に分配、工場・銀行・外国貿易を国営化しました。

 更に1919年には「全てを戦場に」のスローガンの下で「穀物割当徴発制度」等が実施され、外国による対ソ干渉戦争と反革命軍との内戦の危機に対処したのでした。
この制度により、余剰作物の公定価格での買い上げを廃止し、強制的徴発を断行、食料を配給制にしたのですが、この農村での穀物収奪とも言える強引な手段により、農民の耕作意欲は減退し、農村は疲弊する結果となりました。

 この戦時共産主義は、内戦時に於ける急激な共産化と云う強制的側面と、非常事態への対応の面が強く、この強制措置によって、内戦を戦い抜く事が可能と成ったものの、7年間に渡る戦争・内乱でロシア経済は荒廃し、1920年の工業生産は戦前の約14%・穀物生産も約2分の1に減少していました。

 こうした状況を打開する為、内戦もほぼ沈静化した1921年、レーニンは政策の転換を図り、ネップ(新経済政策)(1921-1925)が導入されます。
食料税の導入と、税納付後に残った残余農産物の自由な処分を可能とした事が特徴で、共産主義経済の緩和と云う意味合いが有り、このネップによって、ロシア革命と内戦の混乱で疲弊した、ソビエト連邦の経済はようやく立ち直り、1927年迄にはロシアの工業・農業生産は1913年(戦前)のレベルに近づきました。

 しかし、生産残余物を自由に売買できる事から、ネップマン(ネップ期に投資などによって富を蓄積させた)やクラーク(富農)といった富裕層の出現により、貧富の差が拡大し始め、国家統治理念である社会主義との矛盾を生ずる事に成りました。 
1928年スターリンによって、ネップ(新経済政策)を改めて、第一次五カ年計画(1928~32)による計画経済体制が施行され、重工業、特に軍需工業に重点をおく工業化と農民の集団化が実勢されます。

 この計画は、ネップによって潤ったネップマンやクラーク等の富裕層は、多大な犠牲を強いられ抵抗も強いものでしたが、政府は投獄や処刑等の強硬手段で之に対抗しました。
富裕層は事実上消滅し、この経済計画は1930年代の世界大不況の影響を受ける事無く、対外的には大成功との宣伝が大々的に行われましたが、実際は政治犯、囚人による強制労働、農民の集団化に至っては、強制的に行われた為、各地で大飢饉が続発し、多数の餓死者を生み出しました。
この様な犠牲の上に成り立った五カ年計画によって、第二次世界大戦勃発直前迄には、世界第二位の工業力であったドイツを抜いて、ソビエトは世界第一位のアメリカに次ぐ工業力を誇ったのです。

続く・・・
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