2012/12/07

人類の軌跡その532:満州事変①

<満州事変と中国国民政府>

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 日本が満州事変で中国侵略を本格化した後も、中国国民政府は中国共産党討伐を優先し、抗日戦を回避していました。
1936年の西安事件を経て、蒋介石はようやく抗日を決意したのです。

◎世界恐慌と日本

 日本では、1923年の関東大震災による震災恐慌、27年の金融恐慌と経済危機が続き、更に訪れた世界恐慌は1930年の金輸出解禁による不況と重なり、昭和恐慌と呼ばれる深刻な事態となりました。財閥は恐慌を利用して多くの産業分野で支配権を強め、政党はこれらの財閥と結びつき国民の信頼を失って行きます。

一方で、中国侵略によって現状打破をめざす軍部が台頭し、1932年の五・一五事件、36年の二・二六事件など右翼や軍人によるテロやクーデタが続く中で、政党内閣は崩壊し、軍国主義化が加速して行ったのです。

◎軍部と傀儡国家満州国

 1931年9月18日、関東軍は奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し(柳条湖事件)、この事件を中国軍の犯行として、中国東北地方で中国軍と戦闘に突入します(満州事変)。
関東軍の一部軍人による独断で始められた戦争で、立憲民政党若槻内閣は不拡大方針を表明しましたが、関東軍はこれを無視して軍事行動を続けた為、内閣は総辞職し、代わった立憲政友会犬養内閣は、関東軍が東北地方を占領してしまった事実を追認するしかありませんでした。

 32年3月、日本は侵略行為を糊塗する為、東北地方を日本の領土とはせず、清朝最後の皇帝溥儀を執政(34年には皇帝)として満州国を建国しましたが、日本の傀儡国家であることは明白でした。

 この前の1月には、中国東北地方から世界の目を外らす為、排日運動が盛り上がった上海に日本軍が上陸し中国軍と交戦する上海事変が起きています(3月に停戦)。
 
 中国の要請によって、国際連盟から現地に派遣されたリットン調査団は、満州事変を日本の自衛行動とは認めず、又満州国が日本の傀儡国家であるとした為、33年、日本はこれに抗議して国際連盟を脱退したのです。

続く・・・

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