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2012/12/14

人類の軌跡その538:太平洋戦争開戦前夜の日本③

<太平洋戦争勃発の原因③>

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※五・一五事件

海軍青年将校が起こしたクーデター未遂事件。
首相官邸、内務大臣官邸、立憲政友会などが襲撃され、犬養毅首相を射殺。
「話せばわかる」と言った犬養首相に対し、青年将校は「問答無用」として射殺し、これによって、犬養毅内閣は崩壊、政党内閣は終焉しました。


※二・二六事件

 皇道派の陸軍青年将校が起こした戦前最大のクーデター事件。
約1400名を率いた反乱軍は、首相官邸、大臣官邸、警視庁などを襲撃し、永田町一帯を制圧して政府の閣僚や要人たちが次々に殺害しました。

 この事件の際、高橋是清大蔵大臣、首相経験者の斎藤実内大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、首相秘書官松尾傳蔵が殺害され、岡田啓介首相も襲撃されたが、首相官邸に襲撃した青年将校が他人を間違えて射殺して引き返したため、奇跡的に無事でした。
その他、牧野伸顕内大臣、鈴木貫太郎侍従長も襲われましたが、助かっています。

 クーデターの首謀者たちは、川島義之陸軍大臣に対し、政府の改革断行と統制派の排除を迫り、川島陸相は、彼らの行動に理解を示す陸軍大臣告示を発し、政府改革を約したが、この弱腰の行動に激怒した昭和天皇は、「あの青年将校らは、私の大切な重臣を殺した凶悪なものたちで反乱軍ではないか」と言い、「もしだれも鎮圧する気がないなら私自ら近衛兵を率いて鎮圧する」と断固たる姿勢を示しました。
この言葉によって、政府も弱腰的態度を改め、反乱軍鎮圧に向かいます。

 陸軍部内では同士討ちを避けたる目的で、ラジオ放送やアドバルーン、ビラなどをまいて、反乱軍に投稿を呼びかけました。
「兵士達に告ぐ、今からでも遅くない、原隊へ帰れ。抵抗するものは賊軍と見なす。お前たちの両親は悲しんでいるぞ」というラジオ放送は有名です。

 結果的に、2.26事件は4日後に鎮圧され、首謀者の青年将校や彼らの行動に影響を与えた思想家北一輝が非公開の軍事裁判で銃殺刑と成りました。
この事件の影響は非常に大きく、岡田内閣が責任をとって総辞職、広田弘毅内閣が成立するものの、組閣に当たり軍部が圧力を加え、親軍派を多く閣僚として送り込むことに成功し、更に陸海軍大臣を現役の大将、中将に限るという陸海軍大臣現役武官制を復活させ、陸海軍が人材を派遣しなければ内閣が組閣できない事となり、軍部の影響力が一気に強大化して行きました。

続く・・・

 又、軍部内でも、皇道派関係者が大量に処分され、以後統制派が実権を握って行きます。
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