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2012/12/18

人類の軌跡その541:太平洋戦争開戦前夜の日本⑥

<ゾルゲ事件>

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リヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実

 ゾルゲ事件とは、世界初の共産革命で在ったロシア革命によるソビエト連邦の成立と、それに続くコミンテルン活動、「紅い正義」が信じられていた時代に、その活動に殉じて心身を捧げた革命家達による、第二次世界大戦前夜の「赤色諜報団事件」を云います。
その中心人物が、ドイツ・ナチス党員、そしてソビエト赤軍諜報部員のリヒャルト・ゾルゲで在り、その日本に於ける最高協力者が、近衛文麿内閣の有能なブレーンとして活動をしていた尾崎秀実でした。
この事件に関係したとして検挙された者は、時の政界、報道、芸術関係者の多く含み、総計34名とされています。

 ゾルゲ事件は「20世紀日本に於ける最大のスパイ事件」と形容され、研究者に拠れば、「太平洋戦争前夜の日本を揺るがせた国際スパイ事件であり、歴史上数多いスパイ事件の中でも、その影響力の大きさは比類無き事件で在り、世界の歴史を変えたスパイ事件であるとの評価は現在でも不動のものである」とされています。

 リヒャルト・ゾルゲは、1930年代より赤軍のスパイとして諜報活動を展開し、1933年9月、ドイツ、フランクフルター・ツァイトゥング紙の記者として来日、ナチス党員として駐日ドイツ大使館に出入りする傍ら、駐日大使オットー陸軍武官の私設情報担当となって活動し、日本の政治、外交、軍部の動向、軍事に関する情報の入手、その通報に尽力しました。 

◎情報戦

 当時ヨーロッパの情勢は、ナチス・ドイツがソ連へ侵略を開始し、独ソ戦に突入していました。
ドイツ軍は首都モスクワに迫りつつ在り、スターリン率いるソ連は、三国同盟を結び強固な関係にあった枢軸国ドイツと日本に、東西から挟み撃ちされる危機に陥っていたのです。
当時日本軍部内では、太平洋戦争の方針を巡って激論が続いており、陸軍は仮想敵勢力をソ連に据えて「北方守備論」を唱え、海軍は同じく仮想敵勢力をアメリカに据えて「南方進出論」を唱えており、その他戦略戦術を廻って決着が着かない状況でした。
この問題に決断を下す為、政府は御前会議を開催し、最終的に南方進出の道を選んだのですが、ゾルゲは、この情報を満鉄(南満州鉄道)調査部嘱託であり、時の近衛文麿首相のブレーンの一人であった尾崎秀実から入手したのです。

 尾崎からの情報を基に「日本は南方進出を最終決定。日本にソ連攻撃の意図なし」と打電したゾルゲの情報が如何に価値をもっていたでしょうか?
日本の南進政策決定を事前にキャッチして、モスクワに打電している事は、以後のソ連の行動に対し多大な功績が在ると思われるのですが、史実を精査すれば、この報告に対してスターリン指導部はその価値を見出し得なかったとも云われています。

 ソ連指導部の解釈が如何で在るにせよ、スターリンはゾルゲからの情報により、日本の侵略に備えて極東に配置していた精鋭部隊をヨーロッパ戦線に移動させる事に成功します。
ソ連は1942年、冬の訪れと共にスターリングラードでの激戦の末ドイツ軍を敗走させ、この戦闘が転機となり、独ソ戦の戦局は一気にソ連に有利に働き、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの敗北を決定づけたのでした。

続く・・・

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