2012/12/26

人類の軌跡その553:太平洋戦争開戦前夜の日本⑬


<開戦前夜④>

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ハルノート原文

◎アメリカ政府の意図

 現在、ハルノートでアメリカ政府が何を意図していたか明確では在りません。
ハル国務長官はハルノートを野村・来栖両大使に渡す際には、難色を示す両大使に「何ら力ある反駁を示さず」、「説明を加えず」、「ほとんど問答無用という雰囲気」であり、「投げやりな態度」であったと云います。

 更に両大使と会見したルーズベルト大統領は、態度は明朗であるにも関わらず、案を再考する余地はまったくないように思われたと云います。
ハルノートの提示は陸海軍の長官にも知らされておらず、スティムソン陸軍長官はハル国務長官に電話で問い合わせたときに、「事柄全体をうち切ってしまった、日本との交渉は今や貴下たち陸海軍の手中にある」と伝えられたと答えています。

 又ハルノートはアメリカ議会に対しても十分説明されていません。
ルーズベルト大統領は、暫定協定案でも日本が受諾する可能性はあまりないとイギリスに語っており、ハルノートが受諾される見込みはないと考えていたのでしょう。
しかし攻撃を受けた翌日開戦を決議する為の12月8日議会演説ではハルノートにより交渉を進めていたように演説をしているのです。

 スティムソン陸軍長官は、真珠湾攻撃10日前の日記に、ルーズベルト大統領との会見時の発言として「我々にあまり危険を及ぼさずに、如何にして彼ら(=日本)を先制攻撃する立場に操縦すべきか」と記録しています。

 以上を考察すれば、日米開戦はアメリカが巧妙に仕組んだ罠とも思えます。
日本が1937年に中国大陸を攻撃した早い段階で、東南アジアに植民地を持つ西洋列強と会合を持ち、日本の行動予測を行なっています。
西洋列強も日本が中国大陸で泥沼状態になれば、次は東南アジアを狙うと予測していたのですが、西洋諸国はヒトラーの台頭で、一切の余裕を欠き、アメリカに頼るしか他に道がなかったのです。
そこでルーズベルトは議会にはからず、独断で日本を戦争におびき寄せる計画を進めました。
当時のアメリカ議会は保守的で、ヨーロッパの危機にはほとんど無関心でした。

 12月4日、シカゴ・デーリー・トリビューン紙は一面トップで「ルーズベルトが戦争計画」と云う見出しで「500万人の米軍がドイツに向けて動員される。しかも、動員総数は145658人にのぼり、二つの海洋と三大陸にわたる全面戦争」と報じ、この報道にルーズベルトは激怒します。
ヨーロッパ戦線にアメリカが介入する事にアメリカ国民の世論は、反対一色で在り、又海軍も開戦に消極的でした。

 12月5日、ソ連軍反攻、モスクワ近郊のドイツ軍が撤退を開始、この事はルーズベルト大統領に日米開戦を確信させました。

 12月6日、東京の外務省からワシントンの大使館に長文の電文が続々と送られ、電文は13部に分けられ、最後の部分は別途届く手筈に成っていました。
もはや、誰の目にも日米開戦は不可避だったのです。

続く・・・
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こんにちは。
奈津子さんは今からが、一番忙しい時でしょうか?また寒波が、やってくるようですので、お気を付け下さいね。