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2013/01/04

歴史のお話その2:メソポタミア文明②

<メソポタミア文明②>

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「楽園追放」(部分)ミケランジェロ

◎エデンの園

 シュメール人の文化、暮らしは色々な伝説や物語に、大きな影響を与えました。
例えば、旧約聖書にはシュメールの影響を見る事が出来ます。

1、旧約聖書創世記(天地創造)

 神が「光あれ」と言って光が生じ、これが一日目1日目ですが箇条書きにすると
1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。
2日目 神は空(天)をつくった。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物を生えさせた。
4日目 神は太陽と月と星をつくった。
5日目 神は魚と鳥をつくった。
6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。
7日目 神は休んだ。
この七日間の区切りは、シュメールの七曜の影響が出ています。

2、アダムとイヴ(エデンの園)

 神が泥からつくりあげた最初の人間がアダム。
一人では、寂しいであろうと、神はアダムの肋骨を一本採って、女イヴを造ります。
二人は、裸のままの姿で、それを恥ずかしいとも思わずに、働かなくても暮らせる地上の楽園、エデンの園に住みました。

 神は二人に一つの約束をさせます。
エデンの園の真中に知恵の木が在り、その実だけは、絶対に食べてはならないという約束です。
ところが、蛇がイヴを誘惑し、「知恵の木の実を食べても死ぬ事は無い」、イヴは言葉につられて終に禁断の木の実を食べてしまう。
更にアダムも食べてしまうと、急に知恵が付き、彼等は互いに裸である事に気が付いてしまします。

 約束を破った事が神に知られ、その怒りに触れて二人はエデンの園を追放されました。
追放された場所がエデンの東、そこでは、地には這いつくばって、厳しい労働をしなければ生きていけない場所でした。

 さて、エデンの園の話がシュメールと如何なる関係が在るのでしょうか?
エデンの園はシュメール人が住んでいた実在の場所と推定され、ラガシュとウンマの二つの都市国家が、紀元前2600~紀元前2500年頃に「グ・エディン」(平野の首)と云う土地をめぐって戦争を繰り返しています。
この「グ・エディン」がエデンの園の原型と思われます。

 旧約聖書を形づくったのはヘブライ人です。
彼等は紀元前10世紀頃に自分達の国家を建設しますが、それ以前は部族毎に分かれて牧畜等を営みながら、メソポタミア地方からエジプトにかけて移動生活をしていました。
豊かなシュメールの土地に定住を試みたものの、その土地に入り込むだけの勢力は無く、「なぜ自分達はあの豊かな土地に住めないのか」、と云う不満・不運を自分達自身に納得させる為、楽園追放の物語がつくられたのではないかと思います。
エデンの地は、豊かなシュメールの、その中でも最も豊かな土地の象徴であると思われます。

3、バベルの塔(混迷の塔)

 人間が天迄届きそうな高い塔を建て、これを知った神が、この塔を打ち壊します。
「神の傍に届こうとする不届きな振る舞いだ」と神が怒ったと一般に云われていますが、聖書にはその様な表現は存在しません。
神は塔を破壊し、人々は地上に散らばり、お互いに話す言葉が通じなくなった話ですが、このバベルの塔のモデルがやはりシュメールに存在しています。
 
 シュメール人が建設した神殿にジッグラトが在り、高い塔の形をした神殿で、その遺跡は現在も見る事ができますが、この塔がバベルの塔のモデルと云われています。

メソポタミア文明・続く・・・

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